COLUMNコラム

【関係性と心の発達】大切な人を大切にできるために:自分の「当たり前」に気がつくこと、お互いの「当たり前」を尊重すること

所属カウンセラーの水野です。

新年度が始まりました。
今年は春の訪れが早く、3月から梅や桃の花を楽しめましたね。
入学式に桜の花がまだ残っているといいなと思っています。

みなさまはをどのようなお気持ちでご覧になりますか?
私個人は、歳を重ね、桜を観る自分の気持ちが少しづつ変わって来たように感じています。

一昔前までは、桜よりも断然、薔薇に心惹かれていました。一輪でしっかり咲き誇る真っ赤な薔薇からは、自立心や独立心が感じられ、自分を守るための棘さえも、とても愛おしく感じていました。一方、桜は、ひとつの花では心細く、周りの花々と協力することで咲き誇っている。協調性を重んじる象徴のように見えて、個人的にはあまり共感ができなかったのです。

しかし、いつからか夜の桜がとても綺麗に見えるようになりました。
月の光に照らされて、白く透き通るように咲きながら、風に揺れ、ヒラヒラと散りゆく桜の花びらは、疲れて帰るまだ肌寒さの残る夜道にはもってこいの癒しの存在だと感じるようになったのです。

そして、その姿を見て、「あぁここに桜の木があったんだ」と気がつきます。
季節を問わず、いつも同じ道を歩いているのに、ここにこの木があることを日々意識せずに過ごしていることに気がつくのです。

春、花を咲かせて、やっと思い出すのです。

大切な人との関係性もそうでしょう。
やってもらうことが当たり前、いてくれるのが当たり前、
「当たり前」と感じることで、日々過ごしている穏やかな日常に感謝することが難しくなることがあります。

私のコラムでは、「大切な人との関係性をどのように築いていくか」について、日々の相談対応の中で感じていることや、自身の体験を振り返りながら、一緒に考えさせていただけたらと思っています。

今までのコラムはこちらです⬇︎
【関係性の相互性からみる心の発達】水野コラム
先日の森下のコラムでも、「当たり前に感謝することの大切さ」について書かせていただきました⬇︎
【ダイエットメントレ】ダイエットをする前に意識をすべきこと -後編-

前回のコラムでは、
・関係性上の課題が起きた時は、
 ①自分−相手、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのか ②関係性の課題なのか ③刺激は何か 
これら3つのポイントで分析して整理してみること
・自分−相手、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理するためには、
「今ここで、目の前にいる人との関係性」に焦点を当てて考えることが大切
であることをお伝えしました。

今回のコラムでは、引き続き、関係性のこじれが生じた際、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理する方法をご紹介します。本日は、自分の核を構成している「一般化」「道徳心」が隠れている言葉、自分の気持ちの「語尾」を確認してみることに焦点を当てて書かせていただきます。

また、今回のテーマでもある「一般化」と言う概念ですが、ウクライナの情勢が激化している状況も相まって、「自分にとっての普通」「当たり前とは何か」を考えている方を多くお見受けします。本日は、心理的な観点から「当たり前とは何か」についてもご説明したいと思います。

大切な人を大切にすること、大切にできることは、「自分自身を大切にすること」にも繋がる大事な作業です。
「自分はここにいて良いのだ」「もっと頑張ろう!」など、安心感や、モチベーションにもつながる大事なことです。

皆さまが、興味のあるところからお読みいただけるよう、以前までのコラムを読んでいなくてもお楽しみいただけることを目指して書いておりますが、今までの流れを通してお読みいただくことで、ご自身についてや、関係性への理解を深められるようになっています。

お手隙の際に、以前のコラムにお目を通していただけますと、知識が積み重なり、ご自身の体験に応用していただけると思います。ぜひ、お役立てください。

「今ここで、目の前にいる人との関係性」に焦点を当てて分析すること

「もともとあった気持ち」は、自身が一生懸命積み上げて来た自分の核によって形成された気持ちであるため、正解も不正解もないのです。しかし、人は無自覚に自分の「もともとあった気持ち」「信念」「道徳心」「当たり前」を相手に強く主張し、相手の言動を受け入れられないことで関係性がこじれてしまう場合があります。

従って、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理することが大切なのです。

しかし、それはどちらの問題なのかを特定するために必要なのではありません。その気持ちが尊重される方法を一緒に見つけるために必要なのです。どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを分析し、理解に繋げ、尊重することが大切ですそして、「お互いを大切にし合う」という関係性の本来の目的を意識し直すことで、修正することができるようになります。

そのために、「今ここで、目の前にいる人との関係性」に焦点を当てて整理することが大切であると前回のコラムでお伝えしました。

そして、自分の気持ちに目を向けたとき、今の自分の気持ちが、
・「自分はこうしてきた」など自分の過去の経験に基づく言葉
・「自分はこうなって欲しい」「こうしたい」などの自分の未来への願望を表す言葉が出て来ている場合は、
目の前の相手に「今」感じている気持ちではなく、「もともとあった気持ち」が変換された気持ちである可能性があるということをお伝えしました。

前回のコラムはこちらです⬇︎
【心理コラム】大切な人を大切にできるために:自分の気持ちを整理するための3つのポイント-「今」の関係性を大切にすること-

今回は、それらに加え、
・「〇〇するのは当たり前だ」など自分の信念に基づく根拠のない一般化の言葉
・「〇〇するべきだ」など自分の過去の経験から形成された道徳心に基づく言葉
も同様に、自分の核が形成した「もともとあった気持ち」が変換された気持ちである可能性があることについてご説明したいと思います。

自分の核が形成した一般化・道徳心

お子さんから「みんな持っているからスマホ・ゲームを買って!」など、「みんな」を引き合いに出してお願いされることはないでしょうか?
その「みんな」を掘り下げて聞いていくと、自分の周りのお友達数名が持っているのみで、クラスの全体の割合で言うと、半分にも満たないというようなことがあります。お子さんが「みんな」を意識しながら過ごせることは良いことでもあるのですが、曖昧で不特定な「みんな」を引き連れて、自分の主張の味方とすることがあります。

これは、大人にも当てはまることです。
「社会人として当然のことだ」
「母親、父親、先生であれば子どもに寄り添うべきだ」
「みんなこうしているから自分もこうするべきだ」
などの言葉は、聞き覚えも、ご自身で感じることもあるのではないでしょうか?

しかし、「みんな」とはとても曖昧な概念です。
なぜなら、その「みんな」は自身の所属する組織の習慣、文化、信念にも左右される概念だからです。従って、場所、所属する人が異なれば、それらは一転して「みんな」に共有されているものではなくなるのです。

そして、その組織への所属度合いが強いほど、無意識にそれらの習慣、文化、信念が「当たり前」であるように感じられるのです。この原理に当てはめると、自分自身の持つ「当たり前」は、より意識しづらく、「自分の気持ちを相手も同じように持つだろうと仮定する心理」「自分の気持ちを相手も同じように持つように無意識的に求める心理」も相まって、自分の「当たり前」は相手も、そしてその延長として「みんな」の「当たり前」であるかのように感じられていく(一般化していく)側面があります。

「自分の気持ちを相手も同じように持つだろうと仮定する心理」「自分の気持ちを相手も同じように持つように無意識的に求める心理」について詳しくはこちらです⬇︎
【関係性と心の発達】大切な人を大切にできるために:自分の気持ちに目を向けて、考えてみる – part 2 –

心理的な観点から考える「当たり前と感じること」

では、一体「当たり前」とは何なのでしょう。
少し考えてみたいと思います。

「当たり前」とは、「有難う」の反対語として扱われる概念のようです。
「有難う」の語源は、仏教に由来しており、「有り難い」が変化し、ありがとうになったと言われています。「有ることが難しいこと」つまり「めったになく貴重である」という意味を表しています。

太陽が上り沈むこと、周りに支えてくれる人がいること、心穏やかに過ごせること、日々平和に過ごせていること、自分の核が守られ、自分自身でいられることなど、
私たちが日常で「当たり前」と感じていること全てが実はめったにない「有り難いこと」である。そして、そこに感謝することが大切とのことが述べられています。「当たり前」とは、「大切だが、その存在を意識はせず、感謝もなく過ごしていること」との意味で使われているように思われます。

確かに、「当たり前のことはない」のかもしれません。その一方で、人は「当たり前」という言葉を使い、「当たり前」と感じているのも事実なのです。それは、外的な環境には「当たり前」はないけれど、自分の気持ちなど内的な側面においては「当たり前」が存在するということを意味しています。

では、どうして人は「当たり前」と感じるのでしょうか?
それは、
「その事柄が安定して継続している」

それと同時に、
「自分自身もその継続性を安心して信じることができている」からです。

同じ道にある桜の木の花が咲かない限り、「桜の木がそこに在る」と意識して過ごしていないことと同じように、「在ることが当たり前なこと」を人は意識して過ごすことがなかなかできません。

では、その慣れ親しんだ桜の木が来年には切られると聞いていたらどうでしょう?
その桜の木が「在ることが当たり前」ではなくなった時、人はどのように行動するでしょうか。

伐採されるその日まで、その桜の木と一緒に過ごせる日々を数えながら、しっかりとその存在を意識をして過ごすのではないでしょうか。花が咲いた時、「これは最後に観る花になる」と、散り終わるまで、しっかり目に焼き付けて過ごすのかもしれません。

「安定して継続している」と信じられているからこそ、一生懸命、気を張って意識して過ごさずにすむのです。今年の花は散ってしまっても、同じ場所でまた来年も会えると信じられるからこそ、散りゆく花に寂しくなりすぎずにいられるのです。明日も、明後日も、来年も、それから先も「当たり前」に継続していると信じられているからこそ、人は安心して過ごせる側面も持ち合わせています。

従って、「当たり前」と感じられること自体も、「めったになく貴重である」のです。

しかし、当たり前と感じる気持ちがあるのと同時に、仏教の教えでも言われているように当たり前のことが物理的にはないのも事実なのです。
ずっと続いていくことはない。何事にもいつか終わりはやってくる。
そして、意識せずに過ごしてきた当たり前を人が意識するのは、相手の当たり前との齟齬を感じたとき、或いは失ったときなど、その存在が危機にさらされたときです。

自分の「当たり前」が危機にさらされたとき、「当たり前」と思い、意識していなかったこと、感謝をして来なかったことへの後悔が芽生えることもあるかもしれません。しかし、「当たり前」と感じられた背景には、相手が「その事柄を安定して継続させてくれたこと」そしてまた自分も「安定して継続していると信じられたこと」によって生じた現象でもあることを思い出してみてください。それは、相互の関係性を通して築かれた「めったになく貴重なこと」でもあるのです。

自分の感じている「当たり前」は、ご自身が積み上げてきた過去や、努力してきた経験が隠れています。従って、自分の中の「当たり前」を意識することで、よりその存在を大切にしたり、他者の「当たり前」を尊重したりすることができるようになります。自分の中に留めるだけでなく他者に言葉にしていくことで、何が自分にとって大切なのかを整理することができます。その際にも、ぜひカウンセリングをお役立てください。

まとめ

今回のコラムでは、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理する方法として、自分の核を構成している「当たり前」「道徳心」が隠れている言葉をご紹介しました。そして、心理的な観点から「当たり前とは何か」についてもご説明致しました。

1.どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理することは、お互いが尊重される方法を一緒に見つけるために必要であること
2.「今ここで、目の前にいる人との関係性」に焦点を当てて整理することが大切であること
3.今の自分の気持ちが、「自分の信念に基づく根拠のない一般化の言葉」「自分の過去の経験から形成された道徳心に基づく言葉」である場合は、「もともとあった気持ち」が変換された気持ちである可能性があること
4.自分自身の持つ「当たり前」は、より意識しづらいこと、そして、「自分の気持ちを相手も同じように持つだろうと仮定する心理」「自分の気持ちを相手も同じように持つように無意識的に求める心理」も相まって、自分の「当たり前」は相手も持っている、その延長として「みんな」の「当たり前」であるかのように感じられていく(一般化していく)側面があること
5.人が「当たり前」と感じる理由は、「その事柄が安定して継続している」それと同時に、「自分自身もその継続性を安心して信じることができている」からであること
6.人が「当たり前」と感じることは、相互の関係性を通して築かれた「めったになく貴重なこと」でもあること
をお伝えしました。

ご自身で積み上げてきた過去も、これから築こうと思っている未来も、自分の中の「当たり前」や「道徳心」も自分の核を構成する上で、とても大切なものです。そして、同時に今までの積み重ねの結晶であり、今後の輝きに繋がっていく「今ここで」の体験もとても大切です。

職業柄、虐待などのトラウマを抱える子どもと関わる機会があります。
子どもたちと関わる中で、「本当に可愛いな、愛おしいな」と感じて、私が子どもたちに笑いかける場面があります。そんな視線を向けられたとき、彼らは、身の置き場がないような、照れたような、少し驚いたような、すましたような、でも嬉しそうな、私を包み込んでくれるような、繊細で揺るぎない、そんな表情をしてくれる時があります。

「あぁ、この子たちにとって、この視線を向けられることは、当たり前のことではない。でも、私のその気持ちを受け入れてくれているのだな。」とかけがえない瞬間を感じます。彼らの置かれて来た状況の重さを感じるとともに、彼らもいつか、こういう視線が自分に向けられることが「当たり前」と感じるようになって欲しいと思うようになりました。

「当たり前」と感じると、感謝しなくなってしまうのではないかと思っていました。
しかし、大切なのは、
当たり前なことがない中で、
色々なことが自分に日々与えられていること
当たり前を意識せずに安心して過ごせること
当たり前と感じる気持ちに出会えたこと
「決して当たり前ではない日常の中、当たり前を感じながら安心して過ごせるかけがえなさ」に感謝することなのではないかと感じています。

次回は、引き続き、「自分の気持ちに目を向けて、整理してみる」について書かせていただきたいと思っております。次回は、具体的な 語尾や言葉 をリストに挙げ、ご紹介します。

4月が皆さまにとって、穏やかで素敵な春の季節となりますように。
また5月にお会いしましょう!


●オンラインカウンセリング(カウンセリング、メンタルトレーニング)もどうぞ、ご利用ください。
詳細はこちらをご覧ください。

※小高の対面カウンセリング(カウンセリング、メンタルトレーニング・コーチング)、メールカウンセリングはご紹介制となっております。
オンラインカウンセリングにつきましては、通常のお申し込みで対応させて頂いております。

Writing by 水野

オンライン
カウンセリング
カウンセリング予約