みなさん、こんにちは。所属カウンセラーの安澤です(※Y.Yから本名に変更しました)。
今年ももう終わりですね。
何とも言えない1年間でした。
宣言解除後、コロナストレスも多少緩和され、閉塞感から解き放たれたと思いきや、再びオミクロン株の拡大によって、最後までコロナ不安から拭いきれない1年だった気がします。
皆さんにとって今年はどんな1年でしたか?
ぜひ振り返ってみてください。
そして、来年は「〇〇したいな~」と想像してみてください。
大人であれ、子どもであれ、受験生の皆さんは、本当に大変な時期だと思います。
勉強の有無に関わらず、今正に岐路にぶつかっている人は全て、年末年始とか関係なく、気が気ではない1日1日ではないでしょうか。
本当におつかれさまですm(__)m
それだけで脳を大分使っています。
甘いもの、楽しいもの、何かホッとするものを自分に与えてあげてくださいね。
そして、受験後にしたいことをたくさんイメージしてみてください。
さて、この不登校のコラムも今回でひとまず終わりとします。
最後の不登校コラムは「まとめ」です。これといったテーマはありません(笑)。
前回は、「もはや心理コラムではない」と書きましたが、
今回は、コラムというよりもエッセイに近いです(笑)
お許しくださいm(__)m
心理専門的な内容が含まれているかどうかは、一読された方々の想像にお任せします!!
2021年10月の文科省による発表
文科省(2021)より、10月に2020年度の不登校児童・生徒の総数が発表されました(図-1)。小中合わせて19万6127人と過去最多を更新しました。8年連続の増加であり、人数は増すばかりであると軒並み報道されました。
ただ、大前提として、カウントの仕方が前年度までと異なることは踏まえなければなりません。前年度までは、「年度間で欠席日数30日以上」だったのが、今年度は、「年度間で欠席日数と出席停止・忌引きの日数合計30日以上」に変更されました。
不登校の要因としては、友人関係、学業不振、親子関係、子ども自身の問題(生活リズム、不安等)といったものが挙げられましたが、様々な事情があるでしょうし、これ自体が何の意味を表すか一言では言い表すことは難しいです。
以前のコラムで触れたように、コロナウイルスに伴う社会情勢の影響はやはり甚大でした。それだけ社会の動きが子どもや大人一人ひとりの心の動きに反映するという表れだと痛感しました。
図-1 令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要(文部科学省HP調査結果の概要より抜粋)
「不登校」についてふと思うこと
そもそも、私は「不登校」という問題について最前線で向き合ってきた一人だと自覚していますが、それでなのか、何なのか分かりませんが、「不登校」という言葉そのものに良いイメージを抱いていません。
「なんなんだ、この言葉は」といつも感じてしまいます。一言で表すと、「違和感」です。
一人ひとりの事情がないがしろにされ、無感情に一括りにまとめられているからです。
そもそも法務省が統計的に把握するために使用した言葉だと認識していますし、止むを得ないと思いますが、この言葉が先行することで、一人ひとりの子どもたちに、自分は「不登校」という烙印のような思いを植え付けてしまっています。
その時点で「自尊心を高めよう」と大きな課題を掲げている教育の流れとは真逆な方向付けをしているのです。
自尊心の高い子たちは良いでしょう。しかし、「不登校」と括られた子たちは、その子たちとの格差をまざまざと実感していく一方なのです。それで、自尊心を育てるといっても無理な話ではないでしょうか。それとも、学校に行くことがスタートラインなのでしょうか。
電車で例えるならば・・・
線路なんて何本もあります。何度も枝分かれしています。
近かろうが遠かろうが、そもそもゴール(目標)は自分で作ります。
どのように進もうが、進もうとする電車は自分です。
自分である電車は、特急もあれば、鈍行列車もあるでしょう。
走れなくなったら、充電すればいいんです。そして、乗り換えたっていいんです。
電車以外の方法で進む場合もあるでしょう。
時には、別の方法で、他の電車を追い越すことだってあります。
誰かの手を借りて、何かひらめいて、急に走り出すこともあるでしょう。
それでいいじゃないでしょうか。
そんなことを思いながら、これまでの経験から学んだこと、そして、推奨したい本のご紹介をします。
こころのふるさと
以前、私が働いていたところで、何度か会ったことのある子がいました。その子は既に卒業しており、継続的に関わった子ではありませんでしたが、時々教室に遊びに来ていた子でした。様々な事情で学校には登校出来ず、私の以前の職場で過ごす生徒だったようです。
私も伝え聞いた言葉ではありますが、いまだに忘れられない言葉であり、いわゆる学校に適応困難な子に、最も必要なワードだと感じました。
それが、「こころのふるさと」です。
非常に簡単な単語である「こころ」と「ふるさと」の2語を繋げた言葉ですが、とてつもなく深みのある言葉であり概念だなと、今もなお感じています。とても学ばされた言葉です。
私がこれまでのコラムでも触れてきた重要な言葉の一つ「居場所」とも似た意味合いがあるかなとも思います。
また、少しずれますが、お兄さんお姉さんのような健康なモデルである「ロールモデル」という概念とリンクするような言葉とも感じ取れます。
居心地の良い場所である「居場所」や憧れの存在となりうる「ロールモデル」は、いずれも子ども自身が「安心安全に心身を委ねられる「場」であり「対象」です。適応の難しい子どもたちは、常々不安やネガティブな感情を抱きやすく、そういった安心安全なものを心の中に置くことが難しい状態になっていることが多いです。
その子が、「こころのふるさと」と表現した意味。
それは、子どもがそれまでに感じ取ることが難しかった、「ホッとする」や「ここなら大丈夫」、「楽しい」といった感覚を、心の中に宿すことが出来る「空間」であったということ。
その「空間」では、良いことや悪いこともあったかもしれないけれど、それを越えて、良いものも、悪いものも、1つの「空間」に収められていたということ。
そして、それはどことなく、自分を産んでくれた母親のような、自分が育った家のような、自分が過去に少しでも安らぎを得たことがあるかもしれないところと重ね合わせていたのではないかということ。
それが、「こころのふるさと」なのかなと、連想しました。
こういう安心出来る「空間」が、子ども一人ひとりが歩める「場」であるということを感じました。
2冊の本
不登校に関する書籍は、エッセイから専門書、統計白書まで様々あります。私も全てを読破した訳ではありませんが、ここでは、2冊の本を紹介したいと思います。
専門書の紹介は敢えて致しません。
印象深い2冊にします。
1冊目は、ある子から勧められて読んだ小説です。
●「西の魔女が死んだ」 梨木香歩 (2001) 新潮文庫
【感想】
不登校の主人公まいが西の魔女である祖母との1ヶ月間の生活で様々な体験を通じ、学び、転校の意思を固め、心機一転登校するようになり、心身共に成長した姿を描いた作品。
祖母との生活では、旧態依然の生活習慣や時代錯誤な価値観、考え方のもとで日々を過ごしたが、ある意味、現代の窮屈で疲弊しやすい複雑な生活環境では得られない情操教育が成されたのではないでしょうか。
もともと、まいは感受性豊かで潜在的な意志の強さを見抜いていた祖母は、まいがありのままに伸び伸びと生活する中で、まい自身の潜在的な能力が発揮出来るよう、導いたように思われます。
祖母とまいの屈託ない会話、率直な主張のぶつかり、祖母の知恵、まいの吸収力、それらの貴重な機会や関係性こそが、まいの主体性や能動性を醸成し、意志の強さや自立心を育てたのではないでしょうか。
現代は父母共働きであり、子の気持ちを充分に汲み取る時間が否応なしに不足する時代です。もちろんそれだけが子の心の成長を停滞させる訳ではないですが、感受したものを表現し受容され思考力を養い自信を身に付けていく時間が、子の心身の成長に大きな影響を与えると推察されます。
まいは、祖母との関係性において、まい自身を護る存在としての祖母の内在化がなされ、祖母に肯定されていく中で、安心感を覚え、自我が弾力化して安定化していく過程を辿り、統制困難であったまいの感情も落ち着き、心のエネルギーのバランスが取れ、不登校も改善され、芯のあるまいに化したと考えます。
まいの心身の成長の背景にあるのは、紛れもなく、祖母のまいへの強い「信頼」と「成長の確信」であり、その力こそが魔女の予見力そのものではなかったのではないでしょうか。同時に、まいの祖母への「尊敬と感謝」は、祖母とまいの「情緒的絆」として、祖母の死去後もまいの「心の強さを支えている」と感じています。
つまり、誰であろうとも、亡くなったり、傍にいなかったりしたとしても、その人との関係で培われた「信頼」が、その子どもの心の中に、良くも悪くも、常に宿り続けること。
そして、その影響を与えた「場」であり、「対象」が、子どもの支えとなり続けること。
この心の働きと関係性が、最も重要なのだと、感じさせられた1冊でした。
2冊目は、ある子から紹介されて読んだ本です。
●「友達ゼロで不登校になった僕が世界一ハッピーな高校生になれたわけ」 よしあき(2019) (株)KADOKAWA
【感想】
主人公のよしあきの、幼少期から高校生までの経験がありのままに語られた作品。
いじめ、不登校、家庭内暴力、心身の不調、自殺未遂など……よしあきも、家族も絶望の淵に立たされ、どうにもならなかった時期が生々しく描かれています。
この頃は恐らく全ての人間を、子どもを、大人を、そして親を信じることが出来なかった、自分は無価値な存在であると感じていたのではないでしょうか。
辛く苦しいやり場のない思いと、要らぬ日々が続く中、「死にたい」という思いも強く募っていったのだろうと想像します。
しかし、途中から、様々な人との出逢いや体験を通じて、よしあきが変わっていきました。
少しずつですが、本来持っているといいましょうか、固有の感性、他者を思いやり優しく出来る力、そして、他の人に合わせる必要はないという気づきから、段々と、今の自分を受け止め、目標を定め、周りどうこうではなく、自分の道を歩むようになっていきます。
フリースクールに通い、受検勉強に励み、そして高校合格。その中で自分自身の気持ちと向き合った体験。最初は怖かったでしょう。でも、周りのサポートを借りながら、徐々に、みるみるうちに、本来のよしあきが取り戻されたのではないでしょうか。
高校での出逢い、友達の輪、そしてモデル活動……紆余曲折ありながらも、既にそれをも乗り越えられる力をつけているよしあきには、自分を信じてみようという気持ちが備わっていたのではないでしょうか。
「僕のことを一番理解してあげられるのは自分自身」
まさにこの言葉が象徴していると思います。
これまで相当の傷つきを経験し、様々な形で荒れてしまったかもしれません。しかし、「居場所」と感じられるフリースクール、「ロールモデル」となりえる様々な親以外の大人たち。その「空間」と「対象」がよしあきの心に宿り「安心」が養われたこと。
また、よしあき自身が、親以外の「対象」を取り入れ、同一化して、彼自身の「さらなる成長に繋げていく力」が培われたこと。
これらの心の働きが作用したことで、よしあきが彼らしくいられること、それでいいと思えるようになったことに結びついたのではと感じています。
そして、忘れてはならないお母さん。どんな時も、焦りや不安、苛立ち、悲しみ、絶望といった感情が募っても、とてつもない家庭生活を送られてきた中ででも、よしあきを心で信じ続けたこと。
それが、よしあきの心に、ずっと位置付けられたからこそ、今があるのだろうと思います。
素晴らしい母親、つまり、彼にとって「ほどよい」母親であり続けたのだろうと考えます。
実際に、小中学校で、同様の経験をしてきた方、現在進行形で経験している方がいらっしゃると思います。
よしあきが経験的に言っているように、必ずその状況から変われるのだと思います。
信じること。それに尽きるのではないでしょうか。
なお、この本に出てくる「Yさん」が、私と同じイニシャルであることは偶然ではないかもしれないことだけ、添えておきます。
「不登校になって良かった」。
この言葉。すごいの一言です。統合された言葉だなと感じました。
変われますね、人は。
おわりに
「不登校」をテーマに、10本の心理コラムを書かせていただきました。
ここまで長く連載させていただくとは、思ったりも思わなかったりもしました(笑)
正直、まだまだテーマはあるんです。例えば、不登校の背景にあるテーマは数多く、「強迫とその向き合い方」、「無気力・無関心への考え方」、「生活リズムへの対応」、「起立性調節障害」、「ネグレクト的な場合の対応」、「適応指導教室とは?」、「SSWとの連携」、「受診に繋げる具体的な方法」などなど、限りありません。
私は医者ではありませんし、診断や投薬に直接携われる立場ではありません。服薬して一気に改善する場合もあるでしょう。
そして、仮にこれらのテーマについて書いたとしても完璧な方法を伝えられる訳でもありません。
ただ、このコラムを読まれた方の中の、たった一人でも、何かが思い浮かぶ機会となったり、ちょっぴりスッキリしたりする方がいるならば、書いている意味があると思っています。
「不登校」というテーマは余りに大きくて、無謀なことをしてみましたが、いずれ上記に挙げたテーマを始め、様々な内容について、どこかで触れられたらと思います。
僕のコラムのモットーは、「具体的で、実利的な、見立てと手立てを通じて、ホッと出来る」内容です。そのモットーで、来年もコラムを綴って参りますm(__)m
みなさま、1年間、このコラムをご一読いただきまして、本当に、本当に、ありがとうございました。
今後のコラムのテーマは、まだ明確ではありませんが、「インターネット依存」、「SNSと非行」を取り上げていく予定です。
それでは、良いお年をお過ごしください。
みなさまが、少しでも、心身を休める一時となりますように。
【引用・参考資料】
●文科省 (2021) R2児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要 https://www.mext.go.jp/content/20201015-mext_jidou02-100002753_01.pdf
★追記★
不登校のコラムは、『不登校という現象について考えてみる』というテーマでシリーズ化(①~⑩)しました。それぞれサブタイトルの内容を主に取り上げております。ご一読しやすいよう、いずれの不登校コラムにもURLを追記致しましたので、良かったらご覧下さいm(__)m
<『不登校』についてのコラム URL>
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる① 《不登校とは?/不登校の考え方》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる② 《子どもが求める居場所/不登校への向き合い方①》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる③ 《不登校への向き合い方②》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる④ 《不登校への向き合い方③》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる⑤ 《子どもが成長する段階的な歩み》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる⑥ 《不登校の子どもたちの心のエネルギー/2学期の心構え》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる⑦ 《登校刺激》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる⑧ 《子どもが抱く不安・不安対象の移行プロセス》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる⑨ 《不登校生徒の進路選択》
【学齢期の子どもの心理】『不登校』という現象について考えてみる⑩ 《不登校についてふと思うこと/2冊の本》
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