所属精神科医のT.Sです。
このコラムでは、
私が精神科医として患者さんと接する中で手に入れ、磨き上げてきた様々な武器
つまりは「幸せになるコツ」
を紹介しています。

このコラムの執筆時は6月下旬ですが、随分と蒸し暑い日が増えてきました。皆さんはしっかり体調管理できていますか?
外来患者さんの中でも何名か、熱中症で搬送されたという方がいらっしゃいました。今となっては有名な話ですが、熱中症は屋外だけでなく屋外でも起こります。水分や塩分の補給、室温や湿度の管理には十分にお気をつけくださいね!
さて、前回のコラムでお伝えした通り、担当の美容師さんに触発されて先月の終わりからランニングを始めたのですが…
意外や意外!ちゃんと続いておりますよ!この1ヶ月間、最低でも週に2日はちゃんと走れています!
初回は翌日以降の筋肉痛が酷く、矢を射られたヤックルのようになっていたのですが、二回目以降は慣れてきたのか、あるいは走る前後で入念にストレッチするようにしているからか、筋肉痛で苦しむこともなくなりました。
そして嬉しいことに、初回は1500m走るのに10分以上かかっていたのが、今では8分台に突入!数字でハッキリと上達を感じられるのは嬉しいですね〜!
実際の体感としても、日常生活の中で心なしか疲れにくくなったり、急に眠くなることが減ったような気がします。
また、身体を暑さに慣れさせるという点で、実は熱中症対策にもなっているようです。
過去のコラムでもお伝えしてきた「運動がメンタルヘルスを支える」という言葉通り、適度な運動で汗をかくのが気持ちいいだけでなく、日頃の過ごしやすさもアップし、なにより「ランニング続けられてる自分すごい!」という気持ちでメンタルも爆上げです!
これからさらに暑くなっていくに違いありませんが、早朝や夕方以降などの比較的涼しい時間帯に、今後も定期的に走り続けていくつもりです。
皆さん、運動おすすめですよ!
優しい精神科医は好きですか?

さて、今日は私の職業である “精神科医” について、日々の診療の中で思うことがあったので述べさせていただきます。
私は病院(つまり一定数の入院病床がある)に勤務している精神科医なのですが、勤務先の近くに、とある心療内科クリニックがあります。
どうやら最近できたばかりのようですが、そちらのクリニックの売りが、ズバリ『薬を減らそう、無くそう!』というもの。
ホームページを見てみると、おそらく院長先生でしょうか、優しそうな笑顔を浮かべた白衣の医師の写真が出てきます。
そのトップページには、「向精神薬から脱却し、自然由来のハーブやアロマ、音楽などを治療に用いながら、じっくりとお話を聞きます」という旨の謳い文句が掲げられていました。(原文ままではありません)
※向精神薬とは、「中枢神経に作用して、精神機能に影響を及ぼす物質」の総称です。
一見すると、患者さん想いのとても優しい精神科医にも見えます。ハーブやアロマなどは確かにリラックス効果がありますし、私も診察室で波の音やピアノなどをスピーカーで流しながら診療することもあります。
もちろん、優しく丁寧に接してもらえるのは嬉しいことです。誰だって緊張して病院に行くわけですから、医師が安心感を与えられる対応をするのは大切なことです。
でも、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。
その“優しさ”、本当にあなたのためになっていますか?
優しさはときに、本質を見えにくくしてしまうことがあります。だからこそ今回は、「優しそうに見えて実は危ない精神科医」について、あえて踏み込んで語ってみたいと思います。
優しさに見せかけた “自己満足”

ここで、少し極端な例え話をさせてください。
あなたが道で倒れているとします。目の前に2人の人が通りかかりました。
Aさんは、「大丈夫?辛いですよね…」と優しい口調で言って、心から心配そうな表情を浮かべながら手を握ってくれます。でも救急車は呼びません。
Bさんは、「今すぐ病院へ行きましょう」と、少し強めの口調で救急車を呼んでくれます。
さて、どちらが “優しい” と思いますか?
表面的な態度や口調のやわらかさに、私たちはつい安心してしまいます。でも、もし倒れている本人が「大丈夫です」と言ったとしても、本当に大丈夫かどうかを見極め、必要であれば行動してくれる人こそが、信頼すべき存在ではないでしょうか。
本当の “優しさ” とは、単にその場で心地よさを与えることではありません。
私たちは、能力も情熱も無く、ただ口だけが上手い政治家に対して、日本を任せようと思わないですよね。
「あいつは見てくれが良いだけだ!」と批判されている政治家が、調べるまでもなく一人や二人は頭に浮かんでくるのではないでしょうか。
しかしだからと言って、全く政治に精通してもいない自分が言うことを鵜呑みにし、「あなたが言うなら税金下げますよ!」「あの国とはもう関わるのやめます!」などと言うイエスマンな政治家がいたら、それはそれで怖くて任せられないですよね?「そこはアンタ、プロとしてちゃんと考えてくれよ!」と思うのが普通だと思います。
しかし何故か一部の人たちにとって、「患者が希望したら薬を減らしてくれる精神科医」が、いわゆる「優しい精神科医」と認識されているのです。
患者が望んでもなかなか薬を減らしてくれない精神科医は、一般的に「悪い精神科医」「怖い精神科医」とされてしまいます。
実はそうではありません。
本当に怖い精神科医とは、「人柄はとても良いけどメチャクチャ無能な精神科医(医師)」なのです。
そういう医師に限って、自分が興味のある分野にのみ傾倒し、知識をアップデートせず、一部の「通院当初から、実は最低限の治療しか必要のなかった患者さん」が良くなっていくのを見て、「やっぱり私のやり方が正しいんだ!」と思い込みを強めていきます。そして患者さんはその優しい人柄に惹かれて治療を続けるうち、気づけば取り返しのつかない状態になっているのです。
それはもはや本当の優しさではなく、単なる精神科医の “自己満足” と言ってもよいでしょう。
『薬を出さない=優しさ』ではない

前述のとあるクリニックの院長先生は、まさに「優しそうに見えて実は危ない精神科医」の代表と言えます。
その甘い謳い文句と穏やかな物腰を魅力に感じて通院しても、必要なだけの治療を受けられず、病状はどんどん悪化してしまいます。そして外来通院ではままならない状態になると、クリニックは患者さんをほっぽりだし、私の病院を含めた他院に入院を依頼してくるのです。そういった患者さんが、ここのところどんどん増えています。
紹介状の内容を見てみるのですが、その診断名と病状から考えるに、明らかに量の薬が少なかったり、そもそも薬が使われていなかったりします。
そして患者さんも「薬はやめろ」と教育されているので、当院で必要十分な薬を使うことを説明しても、なかなか納得してくれません。最悪の場合、治療を始めるために「隔離」や「拘束」が必要になることだってありますが、当然そうした行動制限は、患者さんに多大な精神的・肉体的苦痛を与えてしまいます。
その結果、私を含めた病院スタッフへの不信感を強めることに繋がり、最終的には「やっぱりあのクリニックの先生は優しかった!早くこんなところ退院して戻らなきゃ!」となってしまうのです。その先生のお陰でこんなに悪くなってしまったというのに…
統合失調症などの精神疾患は、どれだけ早くに十分な治療が行われるかによって、その後の経過、予後が大きく変わってきます。
発症初期のゴールデンタイムとも言える何よりも大切な時期に、必要な薬を与えられないまま、音楽を聞かされたりアロマを嗅がされたり…
それでは、患者さんがあまりに不憫すぎます。
近年、インターネットやSNSでは「精神科医はすぐ薬を出してくる」「薬漬けにされる」といった声が一定数見られます。
私たち精神科医が比較的安全性が高いと思っていたり、日常診療で頻繁に処方するような薬も、SNSで検索をかけると予測変換に「◯◯ ヤバい」と出てくることがしょっちゅうです。
そしてもちろん、私が思うに「薬を出しすぎ」な精神科医もいます。
そうした世間の声に応えるようにして、このクリニックのような「薬に頼らない治療」を掲げるところが出てきたのかもしれません。
確かに、薬の副作用や依存性が心配になる気持ちはよくわかります。もし私が治療を受ける側だとしても、薬は最低限にしてもらい、可能な限り自然に治していきたいと思います。
しかし、ここで立ち止まって考えてみてください。
たとえば糖尿病の患者さんに「インスリンは出しません。自然治癒力でなんとかしましょう」と言ったらどうでしょうか?
あるいは激しい喘息発作が出ている人に「吸入薬よりお香を炊きましょう」と勧めたら?
精神疾患で言うならば、統合失調症や双極症といった重度の精神疾患においては、薬物療法は今なお不可欠な治療手段です。こうした疾患は、脳内の神経伝達物質の働きが深く関係しており、医学的に薬による調整が必要だとされています。
もちろん、薬だけでは不十分なケースもあります。ですが、薬を一律に “悪者” にしてしまうのは、まさに本末転倒と言えるでしょう。
優しさには「責任」が付きまとう

私は精神科医として日々、「何を伝えるか」と同じくらい「どのように伝えるか」を意識して診療を行っています。
たとえば、診断の告知や、薬物療法の必要性を説明するとき。そこには必ず、患者さんの不安や戸惑いがついてきます。
「あなたは統合失調症という病気です」と告げるとき。
「あなたのお子さんは、これから薬を飲み続けなければいけません」と説明する場面。
「あなたは風邪です」と言われて怒る患者さんはそうそういないと思いますが、こと精神疾患においては、診断されることで怒りや悲しみをあらわにする患者さんも珍しくありません。
これは、心の病や神経発達症(発達障害)のことを「病気ではなくただの性格、気の持ちよう」という認識をしている人が、世間にまだまだ多いことの裏返しでもあります。
患者さんが傷つくかもしれない、怒るかもしれない、受け入れてくれないかもしれない。
なので私は、おそらく患者さんが感じるであろうこれらのネガティブな感情を、少しでも和らげて治療に繋げていけるよう、伝え方には細心の注意を払っています。しかしそれでも、ネガティブな感情をゼロにすることはできないのです。
だからといって、伝えないわけにはいけません。患者さんが嫌な気持ちになると分かっていても、きちんと告知、説明をしなければいけません。
なぜなら、私たち医師にはその “責任” があるからです。
一方で、何でも「大丈夫ですよ」と言って曖昧に終わらせたり、患者さんが薬に抵抗を示したら、その必要性の説明もせず「じゃあ薬はやめておきましょうか」と応じてしまう医師もいます。
患者さんからすれば、「自分の思いを汲んでくれた!」「優しい先生だなぁ!」と思うかもしれません。
でも、それは単に “衝突を避けた” だけなのかもしれない。責任を持って伝えるべきことから目を逸らしただけなのかもしれない。
つまり、”NOを言わない医師” は一見やさしく見えても、実は「決断や責任を放棄している」だけの可能性があるのです。
私達医師の本来の役割は、患者さんの機嫌をとり、言われるがままに薬を出したり減らしたりすることではありません。
時に勇気を出して嫌われ役になってでも、患者さんの未来に責任を持つことなのです。
本当に優しい精神科医とは

繰り返しになりますが、「優しそうに見える精神科医」=「本当に優しい精神科医」ではありません。
優しい言葉をかけることは、ある意味簡単です。専門知識が不要だからです。
優しそうに見えたとしても病気をさらに悪化させるようでは、それは患者さんにとって、本当の意味で “優しい” 精神科医にはなり得ないのです。
「薬を出すべきかどうかを見極め、必要な治療を提案する」ことこそが、本来の医療者としての “優しさ” であるべきです。
私が思う「本当に優しい精神科医」とは、「心の優しさ」と「専門性」の両輪を持った精神科医です。
たとえば、患者さんの話を否定せず、うなずきながら丁寧に聴いてくれる。そのうえで、必要なときには「それは病気の影響です。治療を始めましょう」と冷静に、しかし誠実に伝えてくれる。そんな精神科医です。言うまでもなく、専門的な判断をしたうえで、可能と判断すれば薬の減量や中止もします。
つまり、「受け止める力」と「正しく方向づける力」を併せ持った存在です。どちらかだけでは、偏った診療になってしまいます。
また、一流の精神科医は「患者さんをコントロールしようとしない」という特徴もあります。強引に薬をすすめたり、不安を煽って通院を続けさせたりはしません。その代わり、必要な情報を丁寧に提供し、患者さんが自分で納得して治療を選択できるようサポートします。
優しくありながらも、ブレない芯を持っている。そういう精神科医に出会えたとき、「この先生を信頼して治療していこう」と感じるはずです。
精神科医は、あなたの「今」だけではなく、「これから」の人生にも関わる職業です。だからこそ、見た目の優しさに惑わされず、「本当の意味で優しい精神科医かどうか」を見極めてください。
そしてまた私も、そのような「本当に優しい精神科医」にさらに近づけるよう、日々研鑽を積んでいくつもりです。
それでは、また次回のコラムで。
※過去のコラムはこちら↓からご覧いただけます。
【メンタルヘルス】精神科医T.Sコラム
Writing by T.S
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