所属精神科医のT.Sです。
このコラムでは、
私が精神科医として患者さんと接する中で手に入れ、磨き上げてきた様々な武器
つまりは「幸せになるコツ」
を紹介しています。
みなさんお気づきでしょうか?
まもなく、2025年が半分、終わろうとしています。
早いな〜焦るな〜…
私は紛れもなく「正月に今年の抱負を語りがち界隈」の住人ですが、2月頃になると、もうどんな抱負を掲げたのか忘れてしまっているんです。人間って、不思議ですね。
今年も例外なく、私の抱負はもうすっかり忘却の彼方へ旅立ってしまったので、改めてコラムを読み返してみることにしました。
果たして半年前の自分は、どんな2025年を思い描いていたのか…?
ズバリそのタイトルは、
餅つき、したかったんかァ…
なんてことではもちろん無くて、コラムの締めくくりにこんなことを書いていました。
ですので私の2025年の抱負は、この若々しい熱量を取り戻し、くだらないことにも全力で取り組みながら、人生を楽しむこととしました。
「日常は丁寧に、非日常は全力で」
何やら格言めいたことを申しておりますが、実際に今できているかと言うと…うーん、一考の余地あり。
そんなわけで本日は、「私が2025年上半期をどのように過ごしたかを振り返ろう!」という、箸休め的なコラムとします。
アンタがどう過ごしたかなんて知らんわ!と読み飛ばしたくなるかもしれませんが、そこは他山の石と思って、どうぞお付き合いください。
メンタルヘルスのため、こんな私の日常からでも、学んでいただけることがきっとある…はず!
新しい “ふるさと” と “共同体感覚”
まず何をさておき、私の人生に訪れた超弩級の変化——それは、ついに「夢のマイホーム」に住み始めたことです。
※写真はイメージです。
これまでアパートやマンションでしか生活したことのなかった自分にとって、一軒家に住むのは本当に長年の夢でした。
もちろん、「家は3回建てないと理想の家にならない」という家づくり界の金言があるように、住んでみて初めて気づく「惜しいポイント」もちらほらあります。しかし、ハウスメーカーの洗練された提案、頼れる知人からのサポート、そして何より妻の圧倒的インテリアセンスという三種の神器のおかげで、結果として大満足のマイホームが完成しました。
そんなわけで私は、排気ガスにまみれ危険運転をするLUUPに怯える都心から、大阪万博さながらの蚊柱をくぐり抜けて家路を辿るような田舎へ、生活の拠点を移したのです。そして、引っ越したばかりにも関わらず、すでに田舎への引っ越しならではの?心境の変化を感じています。
それは、マンション暮らしの頃とは違い、ご近所付き合いに対して前向きになったことです。なんというか、今のほうが「ちゃんと関わりたいな」と思うようになったんですね。
少し専門家らしく格好をつけて言ってみると、「より“共同体感覚”を強く感じられるようになった」とでも言いましょうか。
“共同体感覚” とは、精神科医アルフレッド・アドラーが提唱した概念であり、簡単に言うと「自分は社会や他者と繋がっており、そこに貢献できる存在である」という感覚のことです。
マンション暮らしの頃は、マンションの中ですれ違えば流石に挨拶しますが、一歩外に出たらすれ違う人に声なんかかけませんでした。むしろかける人のほうが変な目で見られそうな時代ですね。
しかし今はと言うと、たとえ家から少し離れた道を歩いていても、犬の散歩中の家族、ジョギング中のランナー、一緒にウォーキングをしている老夫婦などとすれ違うと、自然とお互いに挨拶するんですね。これ、個人的にはとっても素敵なことだなと。
マンションというのは、多くの人が限られた敷地に集う構造であるにもかかわらず、不思議と “共同体感覚” が薄い場所でもあります。どこか、自分のパーソナルスペースに殻をかぶせて暮らしているような感覚でしょうか。
その点今の生活は、「地域の一員になったんだ」という、良い意味での一体感を感じさせてくれます。
気軽に挨拶を交わし、道で立ち話が始まりそうになり、なんなら気がつけば野菜をいただいてしまう——そんな日常が、じんわりと心を耕してくれるのです。
(まだ野菜はいただいてないですが、正直…期待しちゃってます!)
これから我が家は、子どもを含めた家族全員でこの土地に根を下ろしていくことになります。
私自身には縁もゆかりもなかった場所ですが、まだ1歳にも満たないわが子にとっては、ここが人生最初の「ふるさと」になるわけです。どこか不思議で、それでいて感慨深く思います。
この場所が、子どもにとって安心できて、伸びやかに育っていける「ホーム」になりますように、と願うばかりです。
運動がメンタルヘルスを支える
つい先日、外勤先の病院にて、十年ぶりに旧友と再会する機会がありました。
大学時代と全く変わらない、長身でスタイリッシュな彼。若々しく小気味よい歩き方から、彼の気さくな人柄が溢れていました。
懐かしさがこみ上げる中、彼の第一声はこうでした。
「おい、お前…太ったな!!」
挨拶より先にボディブローを打ち込まれ、返す言葉を一瞬見失いました。もちろん、医学的にはBMIこそ基準値付近を維持していますが、年々、輪郭に丸みが増しているのは自覚しておりました。専門家として自己受容は大切にしているつもりですが、やはり他者から指摘されると、なかなか堪えるものがございます。
その二日後、新居近くの美容院に初めて行ってみたのですが、そこでの出来事も、私の中にまたちょっとした変化をもたらしました。
担当してくださった美容師さんが同い年で、さらに偶然にも子どもまで同い年と聞き、勝手に親近感を抱いた私。
旧友から受けた傷を舐め合おうと、「この年になると、なかなかお腹も引っ込まないですよね〜!?」なんて話をしてみたところ、「ですよね〜!なので僕、ここ数年は、毎朝5時くらいに起きてランニングしてるんですよ!」と、さらりと仰ったのです。確かに、なんだその引き締まったボディは…
ちなみにその日の私は、昨年の誕生日に「これから毎日走ろうと思う!」と宣言して妻に買ってもらったランニングシューズを履いていたのですが、ご想像の通りほとんどランニングしたことはなく、もっぱら普段遣いの靴と化していました。
恥ずかしいので、なるべく靴を見られないようにして美容院から帰ったのですが、なぜでしょう、静かに対抗心のようなものが芽生えてきたのです。
朝早起きして運動するという、長年目標としながらもまったく実現できていなかったルーティンを、こんなに身近で、しかも同い年の彼はもう数年も続けているなんて…シンプルに悔しかったのです。
そういうわけで、思い立ったが吉日。翌々日の夜勤明けの朝、思い切って走ってみることにいたしました。
体力が落ちていることは自覚していますので、いきなり無茶はしません。距離にして1500メートルほど。中高生のときに体育のテストで走った程度の距離です。
まだ朝靄がかかる中、妻から買ってもらったランニングシューズで走ってみると……きっ…気持ちいいッ!!なんて気持ちイイんだッ!!どこまでも走れる気がするぜ…!!
そう思えたのは最初だけで、数分後には「つらすぎる!二度と走らん!!」と心で悪態をついており、顔もインドカレーのナンみたいになってました。
結果として、学生時代の1.5倍ほど遅いタイムで1500mを走り終え、そのまま有給を取って帰りたいレベルの疲労感に襲われたのですが、シャワーを浴びてふと気づくと、どこか頭の中が一度リセットされたような感覚を得られたのです。
実際にその日一日、身体はぼんやりとした疲労感を抱えながらも、明らかに普段より頭が冴え、集中力を維持しながら仕事に取り組むことができたのです。
その代償として激しい筋肉痛に襲われ、翌日からの三日間は壊れかけの人形のような歩き方になりましたが、やはり朝のランニングは偉大でした。そして何より、自分が今まで出来なかったことにようやく取り組めたことで、また少し自分に自信が持てたのです。
普段患者さんに伝えている通り、運動は身体のためだけではなく、心の調律にも役立つ。それを身を以て実感いたしました。
これからは減量という目的にとどまらず、ランニングそのものをひとつの趣味として、無理なく日々の中に取り入れていきたいと考えております。
音楽を “心の処方箋” とする
最近の私は、Apple Music に登場した「サウンドセラピー」というカテゴリをよく聴いております。
この「サウンドセラピー」、いわゆる単なるヒーリングミュージックではなく、音響のプロフェッショナルたちによって設計された、かなり“科学寄り”の音楽ジャンルのようです。
Apple Music の説明によりますと、この「サウンドセラピー」は、
-
認知科学者、音楽プロデューサー、アーティストのコラボレーションによって開発され、
-
特定の音波や聴覚ビート、いわゆる「カラードノイズ」などが慎重にブレンドされており、
-
集中力の向上、リラクゼーション、睡眠の質の改善などを目的として構成されている
とのこと。もはや “音の処方箋” とでも呼びたくなるような趣きです。
プレイリストも目的別に用意されており、たとえば「フォーカス」「リラックス」「スリープ」などがあり、それぞれのタイトルに見合った音が流れてまいります。
私の場合、特に「フォーカス」がお気に入りで、書類を書いたり資料を読んだりする際に再生するのが定番となっております。確かに、無音よりも集中しやすく感じられるのは事実です。少なくとも“集中しているような気持ち”にはなれます。
もっとも、それが実際に脳波レベルでの変化をもたらしているのか、それとも単なる気の持ちようなのか――その判断はここでは控えますが、「気の持ちよう」でパフォーマンスが上がるのであれば、それはそれで大いに価値があると考えております。要するに、プラセボ効果万歳!ということですね。
精神科医という職業柄、「信じる力の効能」には常々注目しておりましたが、自らの生活にもこれほどナチュラルに作用するとは、我ながら少し驚きました。
もしも「最近どうも集中が続かない」「寝つきが悪い」「なんとなく気分が落ち込む」といった日常の不調を感じているのであれば、この “音の処方箋” を試してみる価値は十分にあるかと思います。上手に取り入れることで、ご自身のメンタルケアや作業効率の向上に、小さな変化が生まれるかもしれません。
音楽は時にお薬以上に、心を癒してくれるものです。
自分のお葬式を想像して、生きてみる
先日、義理の祖母が亡くなりました。
余命1ヶ月と宣告されてからも底知れぬ生命力を見せてくれて、その後約半年近く生き抜かれました。
面会に行ったときには、実の孫でもない私のことでさえ「かわいい、かわいい」と褒めてくれ、ひ孫の可愛さをみんなに見せつけようとしてナースコールを押してしまうような、お茶目で優しい人でした。
葬儀の日、集まった方々が花を手向け、涙を流しながら別れを惜しむ様子を見て、私はふと、自分自身のことを考えました。
自分が死んだとき、お葬式には誰が来てくれるのだろう。どんな言葉をかけてもらえるのだろうか、と。
私には、父が自死でこの世を去ったという経験があります。
若くしてその出来事に直面した私は、生きること、そして死ぬことについて、他の人より少し早く、深く考えるようになったのかもしれません。
しかし、ここ最近は忙しさに追われ、自分自身の“死”について——それはつまり “人生” についてと同義ですが——静かに思いを巡らせる時間を持てずにいました。
そんな折に訪れた義祖母の死は、久しぶりに “自分ごと” として死と向き合う機会となりました。
「なんで生きなきゃいけないの」と人生の意味を見い出せないときが、みなさんにも訪れるかもしれません。そんなとき、
「自分のお葬式には、どんな人が来てくれるだろう。どんな言葉をかけてくれるだろう。」
その問いを想像してみることは、むしろ「どう生きたいか」を見つめ直す手がかりになってくれることでしょう。
死は誰にとっても避けられないものですが、どんな最期を迎えたいかを思い描くことで、今日の選択や人との関わり方が、少しずつ自分の望んだ方向へと変わっていくはずです。
思い返せば、今回のコラムで綴ってきた2025年上半期の日々は、まさにそうした「自分の最期を意識して生きる」という営みの積み重ねだったのかもしれません。
新天地で始まったご近所づきあいと “共同体感覚”。
心と身体の健康を取り戻すために始めた、早朝のランニング。
音楽を心の薬のように扱いながら、集中と休息を切り替える日々。
それぞれは一見、日常の些細な変化や工夫に過ぎません。
けれど、その一つひとつが、人生の質をじわじわと底上げし、「ああ、いい人生だった!」と言えるような終わりに、静かにつながっていくのではないか。
そんなふうに思うのです。
自分が死ぬとき、大切な人たちに「あなたと出会えて良かった」と思ってもらえるような人間でありたい。
そんな決意を胸に、2025年の残りの日々を、今日という一日を、少し丁寧に、少し真摯に、そしてできれば少し愉快に生きてみたいと思います。
それが私にとっての、精神科医としての、そして一人の人間としての “メンタルヘルスケア” なのかもしれません。
それでは、また次回のコラムで。
※過去のコラムはこちら↓からご覧いただけます。
【メンタルヘルス】精神科医T.Sコラム
Writing by T.S
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