COLUMNコラム

【学齢期の子どもの心理】『思春期』という時期について理解を深めてみる②

🔶はじめに🔶

みなさま、こんにちは。所属カウンセラーの安澤です。
間もなく12月、師走です。
皆様、心と身体は労わっておられますか?

この1ヶ月、私の頭の中でだけかもしれませんが、年末の追い込みのような、せわしい時間が続きました。

寒さが増していき、秋から冬へとまっしぐら。
子どもは2学期終盤へ、大人も仕事納めまで残り1ヶ月のところ、みなさん疲れやストレスがどっと出てくる頃ではないでしょうか。
免疫力が低下してしまうリスクが高まってきます。

そして、新型コロナウイルス、インフルエンザウイルスを始め、様々なウイルスが活発化し、罹りやすい時期にもなってきます。

私もついに新型コロナウイルスに感染しました。不覚でした。話では聞いていましたが、喉の違和感からきまして、念のための念のために検査をしたら、うっすらと陽性反応が出ました。その後、解熱剤で熱を下げても39度代に戻るというのを繰り返しました。39.8℃まで上昇したのは、はるか昔にインフルエンザに罹患した時以来でした。

熱には強い方なので、そこで取った行動は、大好きなお寿司を食べまくり、たらふくにお腹を満たし、テンションを上げ、発汗に至るというどうしようもない行動でした。翌日からは自宅療養でしたが、体調が落ち着いたところで、自宅で残務に取り掛かかっていました。

また脱線しました(笑)戻します。

このような寒くウイルスが活発になり、疲れて免疫も下がりやすい時期、体調不良になりやすいことを改めて身を以て実感しました。
とはいえ、身体的な不調は症状として表れやすく、発見しやすいため、受診にも繋がりやすいのですが、精神的な不調というのは、小さいものは見えにくく、大きくならないと気づかれにくいのが実態です。そして、いつのまにか、多くのマイナスなものが蓄積されています。

「なんとなく疲れているけれど、作業を続けるか」
「まあ大丈夫だろう」
「明日も頑張らないと」

気づいた時のものは、とても大きなものであると考えていただいた方が良いと思います。

ちょっとした休憩を。
ホッとする一息を。
何かした後のご褒美を。

日々の自分に“おつかれさま”と言ってあげてください。

引き続き、体調管理にはくれぐれも気を付けていきましょう。

さて、今年の11月は、野球のWBC本選に向け、栗山JAPANが始動しました。そして、サッカーW杯が開幕し、森保JAPANが強敵に立ち向かいます。このような毎年実施されないスポーツも行われています。
一方、駅伝やマラソンのシーズン到来。バスケットボールのBリーグやWリーグも真っ只中。その他にも、様々なスポーツが盛んに行われており、注目される選手も国内外で数多くおり、目が離せないのではないでしょうか。

スポーツ選手という存在は、老若男女、全ての人から目に留められやすい存在です。
大人なら、具体的に秀でている部分に着目して感心するでしょう。
子どもなら、「すごい」、「かっこいい」、「うまい」、「速い」などと目がキラキラししているでしょう。
よく野球少年が「将来、村上選手のように三冠王を獲りたい」とか、サッカー少年が「バルセロナのメッシのような選手になりたい」と言います。

『憧れの存在』

皆さんが小さい頃、憧れていた方は誰でしょうか?

当然、スポーツに限らず、様々なジャンルの人、それはテレビ越しの人や遠い存在かもしれませんし、家族や傍にいる存在かもしれません。

私は、最初は「ウルトラマン」でした(笑)
今考えれば、3分間しか地球にいられないのに。
カップラーメンが出来ても食べられないのに。

それから、非現実的な対象から、徐々に現実的な対象に向かいました。

学齢期は、結構マニアックなのかもしれませんが、最も憧れたのは、アメリカ横断ウルトラクイズ第13代王者の京都大学クイズ研究会“長戸勇氏”でした。
長戸さんに憧れて、長戸さんのように、将来ウルトラクイズに出ると何度思ったことでしょう。何度も録画したビデオを観ました。ウルトラクイズの本を何度も読みました。当時販売していたウルトラクイズのファミコンソフトやボードゲームも買いました。長戸さんになりたくて仕方ありませんでした。今でも当時の映像を観ることがしばしばあります。
もちろん、憧れであり、私の当時の知力と体力からすると、かけ離れた存在でした。
今でもかけ離れた存在ですが、お蔭様で雑学は大好きになりました。

最近ではディープインパクトに憧れました。はい。馬です。夢をもらいました。
語ると字数がとんでもないことになるので、これだけに留めます。
しかしながら、人から動物への憧れへと対象が変わりました。

架空の存在➡かけ離れた存在➡動物

これ以上は触れません。触れてはいけません。

話を戻すと、誰しも一度は“憧れの存在”を心の中に抱くことがあると思います。
特に子どもの時期に抱く“憧れの存在”はその子どもにとっては、大きな大きな存在です。
それまでは、唯一無二の“親”という存在が、子どもにとっては影響力の大きい対象ですが、徐々に、子どもの、外へ、外へ、という物理的かつ精神的な推進力が、“親以外の存在”から影響を受けることにも繋がっていきます。

またまた駄弁が長くなりました。
前回終わりに、「次回は『思春期の特徴』が表れた時の、保護者の関わり方」とお伝えしましたが、文量を考え、分けることにしたため、「保護者の関わり方」までは行き届かず、

今回は、【『思春期』という時期について理解を深めてみる】の第二弾として、思春期の親子関係について取り上げていきたいと思います。

前回の『思春期の特徴』とリンクする部分も多いですし、その続きとなりますが、子どもが成長していき、思春期前後の親子の関係性において、どのような心の働きがなされていくのか、理論と実践から得たことを、ここで図示しながら表現していけたらと考えています。

なお、前回のコラムは以下からご参照出来ます。

【学齢期の子どもの心理】『思春期』という時期について理解を深めてみる①

 

『思春期以前』と『思春期以後』の親子関係について

🔷思春期以前の親子関係🔷

「思春期以前」には、乳幼児期や児童期という長い期間があり、その間にも様々な子ども自身や関係性等の変化があるのですが、ここでは「思春期以前と以後」でざっくり分けて考えてみます。

まず、大人の方にせよ、子どもたちにせよ、御覧になられている方々ご自身にお伺いします。

思春期よりも前の時期(10歳以前)の自分自身はどのような子どもでしたか?

親の言うことを聞いていましたか?
思春期以前からよく親に反発していましたか?
どちらもほどよくありましたか?

人それぞれ異なるかと思います。

思春期以前の子どもたちは、大きく括れば、まだ「保護者の中にいる」子どもたちかと思います。身体面は徐々に大きくなっていき、みんなから「大きくなったね」とは言われるものの、その成長は比較的に落ち着いた速度でしょう。

また、保護者から見ても、それほど反発も強くなく、コソコソするよりは保護者に話してくるでしょうし、何かを隠したとしても、複雑さもなく、すぐにバレるような時期で、思春期に比べても育てやすいと思われます(様々な環境要因や発達的素因があり非常に大変な問題を抱える親子関係もありますが、ここでは一般的な見解を述べています)。

発達段階に応じた親子の距離感を簡単に日常生活の具体的な場面となる「送迎」から説明してみます。

乳幼児期は、親子がぴったりくっついているような時期です。保育園や幼稚園などの送迎にほぼ確実に保護者ら大人がついていく時期です。その時は、大人がいないと、子どもは移動出来ません。移動手段として、送迎バスが存在する保育園や幼稚園もありますが、見送りの場(送迎バススポット)までは親子で一緒のはずです。

児童期になると、子どもたちは小学校に入学し、基本的には登校班(治安上の理由で一部の保護者の付き添いはありますが)、短距離ならば一人ないし先生方が迎えに行くなどの対応になります。帰りも友達と帰宅することが多いでしょう。つまり、親だけではないパターンでの移動のあり方が生まれてきます。
しかしながら、まだまだ子どもの移動は限定的・時限的であり、子どもたちは少し外への関心を抱きつつもまだまだ狭い世界です。

要するに、思春期以前の子どもたちは、乳幼児期に比べれば、外への関心に拡がりを見せ、親子だけの世界観から、少しずつ視野が広がり、保護者を除いた行動も増えていくものの、依然、親子の世界にいることがほとんどであり、何かを決めるにも保護者の決断や意見が重視されています。
保護者のテリトリーからはみ出る程度の視点や行動に留まり、まだまだ子どもは「保護者によって包まれたものの中にいる」という段階でしょう(図-1)。

図-1 思春期前後の親子イメージ  思春期以前の親子イメージ(包含)

当然、上記の図のような状態は、思春期以前に限らず、思春期以後も生じることは度々あると思われます。子どもが保護者に甘える時、保護者が強引に子どもを抑え込む時、子どもが何らかの理由で退行現象(赤ちゃん返り)に至った時などです(図-1、およびこれから図示する図-3、4において「思春期前後の親子イメージ」と表題を付けているのはそのためです)。

保護者としては、子どもを「包み込む」時期ですし、子どもからすると、まだ保護者に「包み込まれている」時期です。

このことは、良し悪し問わず、以下のことに繋がります。

時に保護者にとっては、子どもたちに対して、指示や命令、支配など、保護者の意向が通りやすいでしょう。
時に子どもにとっては、親がいるから安心感を得るかもしれませんし、子ども自身の思いが塞ぎ込まれてしまうという感覚に陥ることもあるかもしれません。

まだ子ども自身が、身体面も精神面も未発達な時期のため、保護者に身も心も依存しています。結果的には、保護者の“意向のままに”育てていくことが可能だと思います。だからこそ、思春期以後に比べれば、衝突する条件が少なかったり規模が小さかったりすると考えることが出来るでしょう。

🔷思春期以前の子どもが抱く“保護者”という対象の捉え方🔷

思春期以前の親子の関係性について触れましたが、“保護者”は子どもにとって、“絶対的な存在”と言えます。

確かに小学生以降になると、幅広い出逢いや対象の発見もあるため、徐々に“絶対的”とは言えなくなってきますが、とは言え、保護者の意向や決断で、子どもの生活も進みます。そう考えれば、子どもにとっては、保護者の言動、価値観、生活観、道徳観などについて、“まだ”強く影響を受ける時期です。

子ども自身が、何か出来事に遭遇したり、意見が異なったりする場面があったとすると、「家では~と言っている」「うちでは~だから」と保護者の言うことをまず聞くスタンスになりやすいでしょう。それだけ保護者の考え方が、子どもに根強く植え付けられています(図-2)。

図-2 思春期以前の子どもが抱く“保護者”という対象の捉え方

🔷思春期以後の親子関係🔷

まず、子どもたちに伺います。

“思春期”を実感していますか?
今の自分は、保護者に対して、どのように関わっていますか?思春期以前と違いますか?
今の自分自身の性格や振る舞いついて、どのように感じていますか?

保護者を始めとする大人の方々にお聞きします。

思春期真っ只中はどのような子どもでしたか?
思春期前後で違いはありましたか?

激しかったですか?大人しかったですか?
「〇〇な子」と言われましたか?

ご自身とお子様は重なりますか?
自分を映し出していますか?

子どもたちに対して、「自分とは違って、~も出来るし、びっくりしている」、「自分は~ではなかった。なんでこんなに〇〇な子なんだろう」とか、「自分に似ている。だからこそ、~になって欲しくないから、厳しく言うしかない」などと、思うこともあることでしょう。

これまた色々とあると想像します。

思春期以後の子どもたちは、まずは、「保護者の中にいたり、離れようとしたりすることを繰り返し行っている」子どもたちかと思います。そして、前回のコラムで取り上げた思春期の特徴が徐々に表れてきます。身体的にも第二次性徴があり、精神的にも自我の芽生えが強くなっていきます。即ち、子ども自身の「個」の力が生まれてきます。

保護者からすると、段々と子どもの我の強さ、反抗的な態度、口の悪さ、乱暴な言動などを日々の生活の中で、部分的に感じ取ることが多くなり、子どもに対して、イライラしたりモヤモヤしたりすることも出てくるのではないでしょうか。

思春期の始まりの小学生中学年の頃では少なかった、そのような保護者の不快感も、中学生前後になるとさらに大きくなっていき、衝突することが多くなることがありえます。

それだけ子どもの「個」が強まっている証ですし、しっかり発達のプロセスを辿っていますが、日々の生活の観点で言えば、そのような理論的なことよりも、「何なのこの子は!」、「何その口の利き方は!」、「もう本当に腹が立つ」などと思ってしまうでしょう。

そして、子どもの育てにくさや関わりの難しさを抱かざるを得ないと思います(当然、子どもたちの中には、全くと言って良いほど思春期以後も保護者に従順だったり素直に振る舞ったりする子どももいます。良し悪し問わず、そのことにも様々な要因が考えられます)。

ここでも「送迎」の視点を入れて考えてみます。

思春期の始まると言われる10歳前後は、小学校3~4年ですが、その時期はもちろんまだ登校班で学校に行くことに変わりはないでしょう。ただ、徐々に、低学年の子どもたちが入り、“連れていかれる”の感覚から、“連れていく”の感覚を、保護者などから期待されるような立場になっていきます。

それから、小学校高学年になると、“引っ張っていく”登校班長のような存在を任されることもあるでしょうし、しっかりと低学年の安全を守るような意識を持つ子ども、そして、同世代の子とつるんで他愛もない会話をして登校する子どもといった、子ども自身が主体的に、能動的に動くような役割になっていくでしょう。

帰路は仲良い友人と喋ったり、時にはそのまま遊びに行ったりするなど、活動範囲を広げ、子ども自身の意志で、保護者の知らない行動を増やしていくことでしょう。この時には、もはや保護者の存在は二の次になっていて、“自分が”とか“自分たちで”という感覚に自然となっていくと思われます。

中学生になれば、場所にもよりますが、登校班はほぼなくなり、子どもたち個々での登校となります。一人で登校したり、個別に約束をして一緒に登校したりするようになります。その時には、もはや物理的な親の存在はありません。帰路も部活動が終わり夜遅くに一人ないし仲間との帰宅、あるいは塾などの習い事など、本人の判断で行動しています。家の前での「いってらっしゃい」、そして「おかえり」によって、移動に関しては親子で境界線が出来ている場合が多いかと思います。

もちろん、「送迎」は治安上の問題も絡む話ではありますが、子どもの心身の成長に伴い、保護者の中にいた子どもは、少しずつ、じわじわと、保護者の中から出始めて、一人で行動しようとしていきます(保護者側の事情、遠距離通学、子どもの不登校、分離不安といった症状がある場合などにはこのパターンに限らないことを付言しておきます)。

送迎の例では、子どもが保護者のもとに戻ってくるというのはあまり考えにくいことではありますが、子どもたちが何かにチャレンジしようと自分自身で進んでみた後、様々な気持ちから、保護者の下に戻って、くっついたり、甘えたり、幼い子どものように振る舞ったりする、そのような、ある意味極端な気持ち(両価性)の行きつ戻りつの段階と言えるでしょう(図-3)。

図-3 思春期前後の親子イメージ② 【思春期以後:密着】

子どもたちは、保護者のテリトリー内から抜け出し、一人あるいは友だちと共に、外界にある様々なことにチャレンジするようになっていきます。その時の保護者は、心配な思いを巡らせながらも、遠くで見守っていく存在に変化していきます。

さらに、時期を進めると、上記の親子の「密着」から、はっきりと、子どもが保護者から「分離」していくような動きに変容していきます(図-4)。

図-4 思春期前後の親子イメージ③【思春期以後:分離】

思春期以後の子どもたちは、「保護者の中にいたり、離れようとしたりすることを繰り返し行っている」プロセスを辿り、徐々に子ども自身の心の中で、「大丈夫」、「いける」、「~が心の中にいる」と感じられるようになっていくと、「保護者から離れていく」子どもたちに変わっていくでしょう。
そして、保護者に向けられていた子どもの様々な感情は保護者以外の対象に向けられていきます。そのうち、「憧れの対象」、「目標」として、その存在に同一化しようとしていきます。

他方、ここで保護者が子どもに心配だから何かをしてあげようとしたり、引き留めようとしたりする場合、そして、保護者が遠くで見届けようとした時に、子どもに不安があって助けを求めてきた場合に、親子間のダイナミクス(心の動き)に軋みが生じえます。

保護者が、「心配だなあ」「大丈夫かしら」と思う時に、子どもは、「ったく、いちいちうるせーな」、「大丈夫だよ、放っておいてくれ」とツンとすることがあります。

保護者が、「頑張りなさい」、「もう大人なんだから」と思う時に、子どもは、「無理だよ、助けてよ」、「まだ子どもだよ」とデレな態度を取ることがあります。

分かりやすく言うと、親子の心の綱引きです。この逆方向への力の働きが親子の衝突の引き金の一つとなりえます。

親が、子どもを甘やかそうとした時、子どもは、大人ぶります。
親が、大人として見守ろうとした時、子どもは、子どもぶります。

思春期は、子どもが、保護者の下に、ささっと戻ってきたり、おそるおそる出て行ったりする時期。

思春期は、子どもが、子どものままでいたり、大人になったりを繰り返す不安定だけれども挑戦的な時期。

思春期は、親子の気持ちを互いに掴み取れなかったり、そのバランスが乱れたり、温度差が生じたりしやすいからこそ、衝突しやすい時期。

そう考えると、保護者にとっては、本当に複雑です。しかし、複雑ということは、子どもに、「個」の力が備わりつつあり、自分の考え、信念、価値観などが生み出されつつあるからでしょう。

つまり、保護者側においては、それまでの、「保護者の中にいる子ども」という視点で、思う通りに育てようという気持ちが少しでも孕んでいると、当然、対立する可能性があるということです。

思い通りの世界のままに、対立なく、もし子どもと関われるとしたら、それは、子ども側が、まだ保護者に依存している状態か、退行(赤ちゃん返り)しているのか、感情を抑圧しているのか、実は保護者が気づかないうちに子どもの気持ちを汲んだ関わりを既にしているのか、子どもが好きなことに夢中になっていて他のことを気にしていないかなどの選択肢なのだろうと思われます。

🔷思春期以後の子どもが抱く“保護者”という対象の捉え方🔷

思春期以後の親子の関係性について触れましたが、“保護者”が子どもにとって、“絶対的な存在”ではなくなってきていることが感じられたでしょうか。

小学生半ば以降、思春期の心身の成長に伴い、様々なことに関心を向け、活動の幅も広げ、新しい発見と出逢いを繰り返していきます。それは、思春期以前のものとは比べられないほどの、保護者が把握しきれない範囲への拡大となります。

子ども自身は、自分の意見や考え、価値観、感情が強固なものとなっていき、保護者の意向や決断よりも、子ども自身の意向や決断、あるいは子どもが「憧れる対象」の思想や信念、助言などを重んじるようになっていきます。

保護者の価値観を全く受け容れないという訳ではありませんが、“絶対的なもの”が、“相対的なもの”へと化していきます。
あくまで“様々なものの中の1つ”という考え方に移り変わっていくでしょう。

子ども自身が、何か出来事に遭遇したり、意見が異なったりする場面があったとすれば、思春期以前とは違い、「俺が決めたから」「あの人が~と言っているから」と保護者の言動は二の次のスタンスになる可能性があります。
保護者の考え方が、否定されるとかなくなるとかではなく、子どもの心の中で子ども自身や第三者の考え方が優先されていきます。(図-5)。

図-5 思春期前後の子どもが抱く“保護者”という対象の捉え方(思春期以後:10歳前後~)

以上のように、思春期前後での親子関係において、子どもの心の中で、じわりじわりと、微妙な変化が続き、気づいた時には大きな変化となっています。

この変化は、繰り返し強調しますが、通常の発達のプロセスになります。子どもはもちろん感情のコントロールが難しいです。他方、保護者は、それまでの関わり方から変えていくことの難しさを感じます。

この2つの難しさを、緩和させる工夫は、親子だけでは出来ません。

“第三者”。

それは、人であれ、物であれ、個人であれ、集団であれ、本業であれ、遊びであれ、古いことであれ、新しいことであれ、些細なことであれ、重大なことであれ、保守的なことであれ、挑戦的なことであれ、とにかく親子以外の対象。

何でも良いのです。子どもが、本気で気持ちを向けられる“対象”であれば。

この“第三者”的な理解と実践を、保護者も子どもも頭の中に入れた上で関わることが、最重要だと考えています。

🔶まとめ🔶

🔷思春期以前🔷

●子どもたちは、保護者を除いた行動も増えていくものの、依然、親子の世界にいることがほとんどであり、何かを決めるにも保護者の決断や意見が重視される。保護者としては、子どもを「包み込む」時期であり、子どもからすると、まだ保護者に「包み込まれている」時期である。

●まだ子ども自身が、心身の未発達な時期のため、保護者に身も心も依存している。結果的には、保護者の“意向のままに”育てていくことが可能である。だからこそ、思春期以後に比べれば、衝突する条件が少なかったり規模が小さかったりすると考えることが出来るだろう。

思春期以前の子どもが抱く“保護者”は、子どもにとって“絶対的な存在”である。

🔷思春期以後🔷

思春期以後の子どもたちは、「保護者の中にいたり、離れようとしたりすることを繰り返し行っている」プロセスを辿っていく。徐々に子ども自身の心の中で、「大丈夫」などと感じられるようになっていくと、「保護者から離れていく」子どもたちに変わっていく。そして、保護者に向けられていた子どもの様々な感情は保護者以外の対象に向けられていく。そのうち、「憧れの対象」、「目標」として、その存在に同一化しようとしていく。

思春期以後の子どもの抱く“保護者”は、子どもにとって“絶対的な存在”ではなくなりつつある。保護者の価値観を全く受け容れないという訳ではないが、“絶対的なもの”から、“相対的なもの”へと化していく。

●思春期前後での親子関係は、子どもの心の中で、微妙な変化が続き、気づいた時には大きな変化となっている。この変化は、通常の発達のプロセスではあるが、思春期以後の子どもにとっては感情のコントロールが難しく、保護者にとっては、それまでの子どもとの関わり方を変えていくことが難しいと感じる。この2つの難しさを、緩和させる工夫策は、“第三者”を駆使することである。

🔶さいごに🔶

またまた冗長となり、申し訳ありませんが、徒然と、書かせていただきました。
“思春期”は複雑です。みなさん、難しいと言います。
確かに難しいと思います。でも、その難しさはどこからくるものなのでしょうか。
まずはそれについて考えてみることも、思春期の親子関係の理解が深まる方法になるのではないでしょうか。

複雑なものを複雑に考えたら、余計に複雑になるだけです。
答えが一つではないものですから。
複雑だからこそシンプルに。
まずはそこから。

次回は、保護者と子どもとの関わり方について、上記に述べた“第三者”を用いた理解について、取り上げていきます。
駄弁が長くならない限り…(笑)

頭でっかちなコラムになってきてしまいました。
まだ、頭でっかちまではいってないかなあという段階ですが…。

何事も「土台をしっかり、シンプルに」しないといけないと改めて思う、今回の結論です。

それではまた次回まで!!

 

🔶参考資料🔶

●馬場禮子ら(編) 2006 ライフサイクルの臨床心理学 培風館

🔶過去の記事🔶

こちらからお読みいただけます↓↓↓

過去の【学齢期の子どもと心理】コラム by 安澤 好秀


 

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Writing by 安澤 好秀

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