所属カウンセラーの水野です。
ゴールデンウィーク、みなさまはいかがお過ごしでしょうか?
ポカポカと心地よいお天気が続き、梅雨を迎える前のとても良い季節ですね!
私のコラムでは、「大切な人との関係性をどのように築いていくか」について、日々の相談対応の中で感じていることや、自身の体験を振り返りながら、一緒に考えさせていただけたらと思っています。
今までのコラムはこちらです⬇︎
【関係性の相互性からみる心の発達】水野コラム
大切な人を大切にすること、大切にできることは、「自分自身を大切にすること」にも繋がる大事な作業です。
「自分はここにいて良いのだ」「もっと頑張ろう!」など、安心感や、モチベーションにもつながる大事なことです。
数ヶ月に渡り、
大切な人を大切にする、できるために、
自分の気持ちに目を向けて、整理する方法をご説明して来ました。
前回のコラムでは、
・関係性上の課題が起きた時は、自分−相手、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理することが大切であること
・自分−相手、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理するには、「今ここで、目の前にいる人との関係性」に焦点を当てて考えることが大切であること
・今の自分の気持ちが「一般化の言葉」「道徳心に基づく言葉」である場合は、「もともとあった気持ち」が変換された気持ちである可能性があること
をお伝えしました。
前回のコラムはこちらです⬇︎
【関係性と心の発達】大切な人を大切にできるために:自分の「当たり前」に気がつくこと、お互いの「当たり前」を尊重すること
今回のコラムでは、引き続き、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理する方法をご紹介します。
本日のテーマは、「自分の言葉、気持ちの語尾を確認してみよう!」です。
こちらは、「自分(相手)の言葉」に目を向け、言葉通りに受け取り、分析してみる方法です。
この方法は、自己理解を深め、大切な人との関係性だけでなく、職場や家族、様々な対人関係に役立てることができます。
言葉通りに受け取ること
せっかくのゴールデンウィークですが、コロナ禍での生活、ウクライナの情勢、知床観光船遭難事故なども相まって、手放しに「楽しむモード!」にはなりにくい方も多くいらっしゃるかと思います。意識的にも、無意識的にも、色々なことに気を傾けながら日々過ごしていらっしゃるのではないでしょうか。そのような時こそ、息抜きに「楽しむ」ことが大切なのですが、なかなかそうはいかない状況で、八方塞がりのような気がしてしまいます。
カウンセラーとしても、「楽しむモード!」については、とても留意してクライエントさんの話しを聞くようにしています。なぜなら、「楽しい」という気持ちは、時に悲しさや寂しさに蓋をして、“見えないように、見ないように。。。”するために使われる気持ちでもあるからです。これは、心理学上では、「躁的防衛」と呼ばれています。
カウンセラーは、言葉の背後にある「気持ち」に目を向け、寄り添うことができるよう訓練を受けています。つまり、クライエントさんが「楽しい」気持ちを打ち明けてくれた時、カウンセラーは、「楽しさ」に目を向けすぎることなく、その背後にあるかもしれない悲しさや寂しさも考慮しながら、話しを聞くことが大切だということです。
悲しさや寂しさを「楽しさ」で紛らわし、蓋をしていたとしても、根底にあるそれらの気持ちはふと顔を出し、余計にその方を孤独にすることがあります。カウンセリングにおいては、ひとりでは、蓋をしている、或いは、するしかない気持ちを一緒に感じることが大切なのです。
とはいえ、理屈上、
「ひとりでは、蓋をしている、或いは、するしかない気持ちを一緒に感じることが大切」
と理解していても実際にできるかと言われれば全く別の話しです。
私がカウンセラーになりたての頃、クライエントさんの話す「楽しい」気持ちについて、どのように聞いていくのが良いのかとても難しく思っていたことがありました。
「私が気がつかなかったことで、クライエントさんを余計に寂しくさせてしまったらいけない」と不安に思い、クライエントさんの「楽しい」気持ちの中に、「悲しさや寂しさ」を探している自分がいました。その一方で、寂しさや悲しさがありながらも、クライエントさんが「楽しもう」としたこと、その結果、楽しい体験ができたこと、それをわざわざ私に伝えて下さっていることも事実なのではないかとも思っていたからです。
従って、
「楽しい気持ちの中に、悲しさや寂しさを探す」
私のこの行為は、本当にクライエントさんの気持ちに寄り添うためのものなのか?と疑問に思っていたのです。
ある時、クライエントさんの「楽しい体験」の話しを聞いた時、「楽しさ」と「悲しさや寂しさ」の両方が背後にあるように感じたことがありました。その時、「楽しい」気持ちと、「悲しさや寂しさ」は相反する気持ちなのではなく、共存し得る気持ちであると気がついたのです。
日常生活に置き換えても確かにそうでしょう。
例えば、自身の幼少期を振り返った時、お子さんの小さい時を思い出した時、故人を忍ぶ時、楽しかった気持ちや喜びを感じながら、もう戻らない時や限りがあることだと改めて感じ、悲しく、寂しくなることがあります。
「楽しい」気持ちは、決して、悲しさや寂しさに蓋するためだけの気持ちなのではなく、「楽しい」気持ち自体も尊いこと、そしてそのことを共有しようと思ってくれたことも尊いことであるように思ったのです。
そのように考えると、「言葉の背後にある気持ちを探す」だけではなく、
まずは、クライエントさんが自分に表してくれているその言葉通りに受け取ること、その気持ちを一緒に感じることが大切なのではないか、と感じるようになりました。
それは、クライエントさんが考え、選び、表してくれている「言葉」への敬意でもあると思うのです。
お子さんに学校での様子を聞いた時、「楽しかった」との言葉が返って来ても、「本当なの?」と心配になること、
自分と過ごして「楽しかった」と言ってくれた相手に対して、「本当かな…」と不安になること
もありますね。もしかしたら、言いづらいことを言っていないかもしれないと。
その可能性を考慮に入れながらも、やはりお子さんが「楽しかった」と言っている、相手が自分と過ごして「楽しかった」と言っている
その言葉通りに信じてみることも大切なのではないでしょうか。
仮に気が付けなかった気持ちがあったとしても、その人が自分に表してくれた「言葉」を一緒に感じること自体にもきっと意味があると思われます。また、仮に、その「言葉」と「気持ち」が一致していなかったとしても、その「言葉」で表したことの意味について考えを巡らせることが大切なのではないかと思うのです。
語尾を確認してみよう!
では、以下のリストに則って、ご自身が今感じている気持ちや発言の語尾を言葉通りにとってみましょう。当てはまるようであれば、「今の自分の気持ちは、本当に目の前の相手に感じている気持ち」ではなく、自分の核が形成している「もともとあった気持ち」が要因である可能性が高いと思われます。
また、以下のワードは、思春期のお子さんたちが反応しやすいワードでもありますので、ご参考にされてください。
* 過去の自分の経験により形成された根拠のない一般化
・「〇〇するのが普通」
・「〇〇であるはず」
例)LINEに既読をつけたらすぐ返すのが普通
自分は叩かれて育って来たので、子どもも叩いて躾をして良いはずだ
あの時と同じことをこの人もしているので、この人も自分を傷つける人であるはずだ
* 過去の自分の経験により形成された信念や道徳心
・「〇〇するべき」
・「〇〇しなければいけない」
・「〇〇するのが当たり前」
・「〇〇するのはおかしい」
・「〇〇するのはあり得ない」
・「〇〇するのが常識」
例)目上の人には従うべき
困っている人は助けないのはおかしい
自分の語尾を確認して、余裕があれば、相手の発言もよく聞いてみましょう。相手の「もともとあった気持ち」が何なのか、見つけられるかもしれません。
「もともとあった気持ち」は、自身が一生懸命積み上げて来た自分の核によって形成された気持ちであるため、正解も不正解もないのです。しかし、人は無自覚に自分の「もともとあった気持ち」「信念」「道徳心」「当たり前」を相手に強く主張し、相手の言動を受け入れられないことで関係性がこじれてしまう場合があります。
従って、どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを整理することが大切なのです。
しかし、それはどちらの問題なのかを特定するために必要なのではありません。その気持ちが尊重される方法を一緒に見つけるために必要なのです。どちらの「もともとあった気持ち」が要因なのかを分析し、理解に繋げ、尊重することが大切です。
まとめ
今回のコラムでは、
言葉の背後にある「気持ち」に目を向け、寄り添うことも大切だが、
・「言葉通りに受け取る」こと、
・「言葉」で表したことの意味について考えを巡らせることが大切であること
をご説明しました。
また、
・「もともとあった気持ち」が隠れている可能性のある「語尾」のリスト
を紹介しました。
これまで、「自分の気持ちに目を向け、考えること、整理すること」について書かせていただいております。それは、大切な人を大切にするためには「自己理解が重要」ということです。
「自己理解」は、大切な人との関係性を築いていくための、いわば、下ごしらえです。
大切な人との関係性を築いていくことは、料理にも例えられます。
下ごしらえは省いても構わないけれど、やはり丁寧にとられている出汁は、格別に美味しく、深みの出るものです。
「自分の気持ちに目を向けること」とは、素材と向き合うこと
「自分の気持ちについて考え、整理すること」とは、その素材の質を理解し、形を丁寧に整えることです。
「関係性」とは、自分−相手の素材を持ち寄って、一緒のお鍋やフライパンに入れて調理することです。
素材を融合することでよりよく美味しく味わえることがあります。
反対に、合うと思っていた素材の相性が意外にもあまり合わないことや、味が衝突してしまうこともあるでしょう。
しかし、合わないと思っていたものが意外にもとっても美味しいこともあるのです。
下準備も大切なのですが、やはりやってみないとわからないこともたくさんあります。大変だけれど、だからこそ楽しいのですよね!
お互いの素材を活かすためには、まずは、自分の素材を理解し、活かす方法を考えることが不可欠なのです。それが、結果的に相手の素材を活かすことに繋がるのです。
調理人の方が、納得のいく味を作るのに何年もかけるのと同様に、初めからうまくいくことはありません。大切な人を大切にすることは、結果ではありません。試行錯誤していくプロセス自体が、「大切な人を大切にすること」なのです。従って、自分の素材を大切にしようと試みること自体も、「大切な人を大切にすること」の一部と言えます。
いよいよ、調理の段階です。下ごしらえが進み、大切な人とどのように関わるか、どのような方法で、どのような料理を作るのかの段階に入って参ります。
その前に、次回は、下ごしらえの集大成!
今までお伝えして来たこと、自分の気持ちに目を向けて整理することの「まとめ」をお伝えしたいと思います。ぜひ、ご覧ください!
では、雨に濡れる紫陽花が綺麗な6月にお会いしましょう!
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