所属精神科医のT.Sです。
私、記事を書いている現在は未だ2024年12月におりますが、まるで既に年が明けているかのようなテンションでコラムを書いていこうと思います!
というわけで。
皆様、明けましておめでとうございます!
2024年の締めくくり、そして2025年の幕開けを、皆様はどのように過ごされたでしょうか。
2024年を気持ちよく終えられた人も、後悔や未練を残しながら2025年に突入した人もいるでしょう。
しかし、こうやって新たな年を迎えられたことに、まずは感謝しましょう。
そして願わくば、2025年がこれまでのどの1年よりも充実し、楽しさや幸せで満ち満ちた年にしようではありませんか!
さて、このコラムでは、
私が精神科医として患者さんと接する中で手に入れ、磨き上げてきた様々な武器
つまりは「幸せになるコツ」
を紹介しています。
日本全国、いや世界全体が?なんとなくハッピーなムードに包まれるお正月。
幸せといえばお正月。そしてお正月といえば?
餅つきですよね。
餅つきの起こり
餅つきという行事は、日本に存在する稲作信仰を拠り所としているようです。
稲作信仰とは、稲を “魂や霊が宿った神聖なもの” として崇めるもの。
古来から日本人の生命を育んてきた稲。その稲から採れる米は、稲作信仰において神聖な食べ物であり、人々の生命力を強めるとされています。
中でも、その米をついて固める餅は、より強力な力を持つのだとか。
だからこそ、日本人はいつからか、祝い事や特別な日であるハレの日に餅をつくようになりました。
そしてお正月は、日本文化においても殊更に特別な日。
これはもう、餅をつかないわけにはいきませんよね。
調べたところによると、年末の大掃除、そして門松やしめ飾り、おせち料理など、私たちの気持ちを浮き立たせてくれる一連の正月行事は、そもそもが新年を司る「年神様」を迎えるために成立したもののようです。
その年神様が元日に我々のもとにやってきて、新年の魂(年魂)を授けてくれるのです。
家にやってきた年神様はその後どうなるのかというと、我々の供えた「鏡餅」に依り付くと考えられています。ちなみに、その餅を家長が家族に分け与えたのが、お年玉のルーツのようです。
私は年神様に直接会ったことはありませんが、年神様と呼んでも差し支えない風貌の、髭の長いお爺さんが親戚にいましたね。
その親戚の年神様は、何を分け与えるでもなく、誰よりも率先しておせち料理をつついていました。
餅つきをしよう
解説と前置きが長くなってしまいましたが、
正月といえば餅つき。
これだけでいいんです。DNAにそうやって刻まれているのです。
しかし、現代社会に生きる人々のうち一体どれほどの人が、日本人の魂とも言える餅つきを経験したことがあるのでしょう。
私は振り返ってみると、幼少期に子ども会で数回だけ杵を振り下ろし、その後配られたお餅を頬張った記憶しかありません。
これでは、餅つきをしたと胸を張って言えません。
しかし大人になった今、私はうまい棒を50本まとめ買いできるようになりました。
子どものときに指を咥えて順番を待ち、数回杵を振り下ろして交代させられた餅つきも、自分の力で開催し、好きなだけ餅をつくことだってできるはずです。
数年前の年末、自身に秘められた可能性に気づき愕然とした私は、経験者に聞き取りを行い、来たる正月に餅つき大会を行うことを決めました。
まずざっと、以下のものを用意します。
まずは言うまでもなく、もち米。スーパーに売っています。
前日から臼と杵はお湯(水)につけ、もち米も洗ってたっぷりの水につけておきましょう。
臼と杵はレンタル(割と高価)するか、親戚、もしくはクールポコから借りてください。
ただ、実際の餅つきでは木臼よりも石臼のほうが良いようです。
石臼は木臼と違い、クールポコのように担ぐと肩がポコるどころでは済みませんので、絶対に真似しないでください。
餅を蒸すせいろは、お湯を入れる最下段と、米を入れる上2段の計3段は必要です。
蒸し布という布も必要で、これは100均に売ってます。使用後はしっかり洗って干さないと、年神様が走って逃げるレベルの異臭を放ちます。
常に熱湯を準備、補給する必要があるため、大きな寸胴鍋、柄杓なども必須です。
おそらく普通の家庭にはないでしょうが、寸動鍋のサイズとしては池乃めだかが半身浴できるくらいの大きさだととっても便利です。
その他、つきあがった餅をお皿に載せるとき、餅とり粉があると便利です。大きめのボウルやザルも、もち米の水切りや餅つきの手水(湯)など多用途で使えます。
必要なのは、”熱湯”
餅つきをやる上で、絶対に外せないポイントがあります。
それは、常にアツアツのお湯(熱湯)を大量に補給できる体制です。これに尽きると言っても良い。
石臼が冷えると餅が臼にこびりつき、うまく返せないどころか美味しくつき上がりません。剥がそうとしても手にこびりついてガチガチに固まり、手を洗っている間に臼と餅はさらに熱を失っていきます。
ですので常に熱湯を準備し、餅をつく前、餅を取り出して次につくまでのインターバルなど、もちが入っていないあらゆるスキマ時間で臼に熱湯を注ぎ入れて保温すること。これがマストなのです。
私たちは、マンションのBBQスペース(屋外)で餅つきをしました。
狭い室内でやるより、青空の下で餅をついたほうが当然気分が良いだろう、と考えたからです。
侮りました。
BBQスペースはあくまでBBQスペースであり、冬場の使用や餅をつくことは想定されていません。
完全に屋外ですし、高さとしてはマンションの6階に相当するので、気温の低さに加えて強風が吹きすさび、すごい勢いで石臼を冷やしていきます。
私たちはBBQ用のグリルを使って火を焚き、肉は一切焼くことなく、ひたすら寸動鍋でお湯を沸かし続けました。そんな使い方をされてグリルも悔しかったことでしょう。
餅つきをしようと思いついたとき、想像の中での私たちはというと、どうすればそうなれるのかもわからないほど楽しそうで、寒さも強風もまさに何処吹く風でした。
しかしいざやってみると、石臼が重すぎて腰が痛い。寒い。熱湯が熱い。熱湯が足りない。母指球筋が痛い。熱湯が足りない。寒い。寒い。
どうしてこうなってしまったのでしょう。
どうして餅つきなんて始めてしまったんでしょうか。
うまい棒を50本まとめ買いしたせいでしょうか。
確かに、うまい棒の原材料は小麦やコーンが主体。これは稲作信仰に対する裏切りと言っても過言ではありません。年神様の怒りを買っても当然です。
私の頭を支配したのは、焦り、苛立ち、後悔、そして申し訳無さといった負の感情ばかり。
しかし、それは間違っていると、すぐに気付かされました。
大切なのは、”熱量”
苦しい時間にも、いつか終わりが来ます。
ついに準備が整い、「The 餅つき」の風景が、日本の古き良き伝統が、私たちの目の前に現れました。
餅をつくという動作に、私たちはモチろん馴染がありません。
実際の杵は見た目以上に重く、振り下ろすのは想像以上に難しい。ゆえに、餅を外して石臼を叩く人が続出しました。すると杵の先にヒビが入って細かな木片となり、餅をつくたびにその欠片が剥がれ落ち、餅の中に飲み込まれていきます。
私たちはそんな木片を見て見ぬ振りしながら、誰もが自分の一口に入り込まないことを願うのでした。まさに日本式ロシアンルーレットと言えましょう。
しかし、そんな失敗もまた一興ではないですか。
餅を返す役も大変です。熱湯に近い熱さの手水で指先の感覚を失い、自然と拳を使うようになっていきます。
不安の混じった笑みを浮かべ、慣れない手付きで杵を振り下ろしてくる友人は、恐怖でしかありません。
しかし何故か全員、掛け声だけは「セイッ!セイッ!」と一丁前に張り上げるので笑ってしまいます。
「頑張れ〜!頑張れ〜!」
「いいよ!正月っぽい!映えてる!映えてるよ!」
「力が足りねぇ!本気見せろや!」
「研修医からやり直してぇのか!?」
興奮するあまり、応援に時折罵声も混じっていた気もします。
友人の子どもたちも、数人ですが参加していました。大人と違って寒さなど気にもしない子ども達は、同様に手順や段取りだって気にしません。
「ねぇ〜!やらせて!」「代わって!代わってよ!」「◯◯ちゃん、おもちに水つけるのやりたい!」「お湯熱い!あついいいぃいいぃいぃい!!」「もうじゅんばんだよ!なんかいもやってる!かわってよ!」「おもち!きなこ!しょうゆ!」
寒空の下響き渡る子どもたちの黄色い声は、疲れた私たち大人の身体と心に活力を与えてくれました。
焦らなくて良いんだ。どれだけ下手でも良い。
好きなだけ、餅をつけばいいさ。
過去の私が叶えられなかった夢を、ここで叶えてゆけば良いさ。
子どもの笑顔と引き換えに、安らかな顔をして冷え切っていく餅を眺めながら、私はふと思いました。
本当に大切なのは、熱湯なんかではなく、餅つきに対する私たちの “熱量” だったのだろう、と。
米をつかないと餅が食べられなかった昔と違い、今の時代、ネットで頼めばモチなんかポチッとするだけで済んでしまいます。
しかし私は、どうしてもやってみたかった。
「そこまでしなくても」と思うことを、実際に全力でやってみたかった。
大学生の頃、河原でペットボトルロケットを飛ばした夏の日を思い出しました。小学生でも中学生でもなく、大学生です。
私は、ただ美味しい餅を食べたかったのではありません。
ただの伝聞でもなく、ネット上の知識でもない。
何物にも替え難い経験を、楽しさを、みんなで共有したかったのです。
ハレとケ
コラム序盤で、「祝い事や特別な日であるハレの日に餅をつくようになった」と説明しました。
日本人の伝統的な世界観の一つとして、「ハレ」と「ケ」という言葉があります。
「ハレ(晴れ、霽れ)」は儀礼や祭り、年中行事などの「非日常」を、「ケ(褻)」は普段の生活である「日常」を表します。
一説では、単調な日常である「ケ」を繰り返す中で心身が疲れ切ってしまうことを「ケが枯れる=気枯れる」と呼び、「ハレ」で「気枯れ」を払うことで心身の健康を取り戻すのだ、という考えもあるようです。
今回私が経験した餅つきは、「ハレ」に該当するイベントでしょう。
一方、私たちの人生の多くは「ケ」が占めているはずです。
辛く単調な日々を繰り返す中で、人生の意味に迷ったり、自分の価値を見失いがちですが、そんな時は「ハレ」の日を作ってしまうのはいかがでしょうか。
普段は「そこまでしなくても」と思うようなことに、敢えて全力取り組んでみる。
日常の延長で中途半端にやるのではなく、くだらないことこそ全力で楽しんでみる。
実際のところ古来の日本人は、特別な食事を食べたり衣服を着たりするだけではなく、言葉遣いや作法までをガラリと変えることで、「ハレ(特別な日)」と「ケ(日常)」を明確に区別していたようです。
仕事や子育てに忙殺される中、私自身この気持ちを忘れていたような気がします。
ですので私の2025年の抱負は、この若々しい熱量を取り戻し、くだらないことにも全力で取り組みながら、人生を楽しむこととしました。
寒空の下で餅をつき、流した汗、響く笑い声、木片を噛み潰す嫌な感触、そしてみんなで食べた雑煮の美味しさ。
そんな非日常が、単調でストレスフルな日々の疲れを癒し、また私たちを日常へと向かわせてくれるのです。
また一方で、人生の多くを占める「ケ」こそ、より丁寧に大切に過ごすことで、人生全体をより良いものにできそうです。
「日常は丁寧に、非日常は全力で」
そんな熱い想いを胸に滾らせながら、今年も一緒にメンタルトレーニングに励んでいきましょう!
それでは改めまして、2025年もよろしくお願いいたします!
※過去のコラムはこちら↓からご覧いただけます。
【メンタルヘルス】精神科医T.Sコラム
Writing by T.S
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