所属カウンセラーの水野です。
私のコラムでは、「大切な人との関係性をどのように築いていくか」について、日々の相談対応の中で感じていることや、自身の体験を振り返りながら、一緒に考えさせていただけたらと思っています。
大切な人を大切にすること、大切にできることは、「自分自身を大切にすること」にも繋がる大事な作業です。
「自分はここにいて良いのだ」「もっと頑張ろう!」など、安心感や、モチベーションにもつながる大事なことだからです。
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【関係性の相互性からみる心の発達】水野コラム
さて、来たる2月14日は、バレンタインデーですね!
昨年は、「とっておきのチョコを自分に贈る」自分チョコに触れてコラムを書かせていただきました。
今年は、クリスマスやバレンタインなどの「大切な人」を意識するイベントの時期に「よく尋ねられること」に触れて書かせていただきたいと思います。
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【関係性と心の発達】大切な人を大切にできるために:自分の気持ちを整理するための2つの考え方のルート- 自分の気持ち・自己理解の深め方 –
バレンタインが迫ってくると、
私がスクールカウンセラーをしている学校などで、「今年は何を作るか」を教えてくれる生徒が多くいます。現在は、Youtubeなどの媒体や、InstagramなどのSNSを参考に、試行錯誤しながら思い思いのスウィーツを作っているようですね。
キャピキャピ楽しそうに話している姿を前に、微笑ましく思いながら話しを聞いていると、自然と恋バナに発展します。
そして、
「先生!!<楽しさ>と<安心>どっちが大切だと思う?」
と尋ねられることが多くあります。
追われるのは苦手だけど、自分を好いてくれている人がいいのではないか・・・
この人と一緒にいると楽しいけど、不安になる・・・
追っていないとつまらなくなる・・・
など、親密な関係性を育んでいく際に感じられる大切な自分の気持ちについて、感じていることを一生懸命伝えてくれるのです。
このような<楽しさ(スリル)>と<安心>が天秤にかけられることは、決して、思春期の生徒のみが行っていることではないと思うのです。自分のことを振り返っても、高校時代も、大学時代の女子会でも、そして、今でも・・・「トキメキ」か「ほっこり」か、「刺激」か「安定」か、「一瞬の楽しさ」か「平凡な日常か」など、ワードをかえながら、かわるがわる話されているなぁと感じています。
<楽しさ(スリル)>か・・・<安心>か・・・
それは、老若男女、世代、性別問わずに、それぞれの世代で考えられている、普遍的なテーマであるようにも思います。
そして、それは「親密性」を超え、自分がどのように生きていくかにも繋がり得るテーマのような気がするのです。
皆さまはいかがでしょうか?
どちらをとることが幸せになることなのか・・・
それは人それぞれであることは、もちろん尊重しつつ、心理士(師)として、現段階で感じている見解について、本日は、少し共有させていただけたらと思っています。
<スリル>がもたらす生きている実感
個人的な話で恐縮なのですが、私はジェットコースターが大好き!なのです。今年の目標にも「地元の遊園地を巡り、ご当地ジェットコースターに乗ること」を挙げさせていただきました。コロナの状況も改善し、たくさん行けるといいなと思っています。
※他のメンバーの趣味・目標等も代表・小高の記事に掲載しております⬇︎
【2023年・仕事始め】本年も現場第一主義のメンバーと「皆様の歩み」のお手伝いをさせていただけましたら嬉しく思いますー代表・小高千枝ブログー
しかし、大好き!だからと言って、ノリノリで列に並んでいるわけではありません。小心者の私は、途中退出のゲートを見る度に「本当に退出しなくていいの?」と自問自答しています。そして、「前も乗れたからきっと大丈夫」と自分に繰り返し言い聞かせながら、順番を待っています。
いざ乗ってみると、やはり後悔しています。そんな私の後悔はお構いなしに、ガッチャンガッチャンと音を鳴り響かせながら、コースターは地上100mへと徐々にゆっくりとあがっていきます。風の音は強く感じられていき、頬に強く突き刺さります。
地方のコースターに乗ると、ビルなど視界を遮るものがありません。右を向けば海、左を向けば山と、あたり一面見渡せて、空に一番近い場所にいるのは自分なのではないかと感じられます。まさに、TOP OF THE WORLDです。その景色の清々しさとは裏腹に、私の心臓は張り裂けそうになっています。ハラハラを通り過ぎて、懺悔をする気持ちになっています。
そして、頂上につく一瞬。落ちることを受け入れた瞬間。地面に向かって急降下しているその時。
激しい恐怖に襲われながらも、自分の気持ちの高鳴り、心臓のバクバク感、後悔からの解放、清々しい達成感、恐怖とは相反する開放感を同時に感じるのです。一度落ちた後は、あがって、落ちて、まわっての繰り返し。「もう、なるようになれ」と、半分投げやりのような、深く腹をくくった後の爽快な私の気分とコースターは一体となり駆け抜けていきます。
コースターを降りると、髪は乱れながらも、気持ちは何だかスッキリしています。そして、もう1回乗りたい!とワクワクしています。
まさに、自分の恋愛態度を体言しているのではないかと思われるこのジェットコースターの体験、これほどまでの感情を一瞬にして揺さぶられ、自分自身を生々しく感じられる体験は他にないと思うのです。贅沢な話であることをお許しいただいた上で申し上げますが、普段の脅かされていない<安心した>生活の中では、感じられない<楽しさ(スリル)>をジェットコースターでは得られるのです。
激しい恐怖を感じている自分に、まだまだ生きることに執着している自分自身を、自分の気持ちが大きく揺さぶれることに「心はここにある」と感じられるのです。ジェットコースターは、私に「生きていること」を体験させてくれます。
<スリル>が生きている実感をもたらしてくれるのです。
生きていく上で、スリルはもちろん大切だと私自身も身をもって体感しています。
従って、<楽しさ(スリル)>か・・・<安心>か・・・
そう問われると、やはりどちらも捨てがたく感じられるのです。
<心の安全バー>を持つこと
さて、上記では、<スリル>がもたらす生きている実感について書かせていただきましたが、ジェットコースターにおいて大切なことは、<スリル>に加え、もうひとつあります。
それは、<安心感>です。
ジェットコースターに<安心感>とは、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんが、
これほどまでの恐怖を与えていながら、私たちは<安全バー>によって守られています。
ジェットコースターは安全保障つきの<スリル>を提供してくれているのです。
もし、「このジェットコースターは10回に1回は安全バーが外れます」などと張り紙が書かれていた場合、決して楽しんで乗ることはできないと思うのです。
「きっと落ちない」と信じられるからこそ、乗ることができる。
そう信じられるからこそ、様々な感情に目を向ける余裕が自分自身に与えられている。
それは、人との関係性においても同じではないかと思うのです。
「明日もきっと楽しく過ごせる」という安心感なしに、人は楽しめるのでしょうか。
その安心感がないことは、
「安全バーが壊れてしまうかもしれないと思いながら、ジェットコースターに乗っていること」と同じなのです。
「明日、きっと楽しく過ごせる」と安心できるから、安心して眠りにつき、明日を迎えることができる。
「明日もきっと一緒にいられる」と安心できるから、今日全力で楽しむことができるのではないでしょうか。
関係性においては、自分の心に<安全バー>を持っていることがとても大切です。
<心の安全バー>とは、自分が安心できる、自分守る線引きや対象を設けることです。
それは、
①自分自身の中に持つ場合
②自分以外の存在に担ってもらう場合
③他者と一緒に築きあげる場合
の主に3種類があります。
①「心の安全バー」を自分自身の中に持つ場合とは、自分を守る最低限の線引き(制限)の設けることです。
どこからが「自身を危険に晒すことになってしまうのか」を理解し、線引きし、相手に対してもそれを守ってもらおうとするものです。その一線を越えたら、「アウト」ということ、つまり、「その人との関係性は継続していけない」と判断するためのものです。
この線引きには、2種類あります。
1.「自分自身がどう感じるか?」を判断材料に、「自分自身」で決めて良いもの
2.「心身が傷つけられる行為は如何なる場合によっても許容できない」という万人に共通しているもの
です。
浮気の定義などが人それぞれであるのと同じように、自分守る線引き(制限)は、「自分自身がどう感じるか?」を判断材料に、「自分自身」で決めて良いことです。
反対に、暴力を振われること、人格が否定されることなど、心身が相手によって傷つけられる行為は如何なる場合によっても許容できません。それは、万人に共通していることです。逆を返せば、「自分には許容できる範囲の暴力がある」と主張したところで、それは「自分自身」で決めて良いものではないということです。
これらの自分守る最低限の線引き(制限)は、自分の中に持ち、相手にも守ってもらえるように主張して良いものなのです。
②「心の安全バー」を自分以外の存在に担ってもらう場合とは、自分が安心できる対象を持つことです。友人、恋人、家族、大切な人、趣味、仕事などがその例です。
自分に何かあった時、助けてくれるだろうと感じたり、気分を紛らわせてくれたりする、自分に安全な居場所を与えてくれる存在(安全基地)のことを指しています。
③「心の安全バー」を他者と一緒に築きあげる場合とは、友人、恋人、家族などの大切な他者と、関係性上でお互いを守る上で必要な最低限の線引き(制限)を話し合いを通して一緒に築きあげることを指しています。お互いを危険に晒すことのないよう、共通認識を持っていくことを指しています。
つまり、人は、自分の中、自分以外の存在に、自分-相手との関係性の中に、安心感を見出すことで、危険を回避したり、危険に晒された場合でも安全な場所に身を置き直していけるようにしながら、生きているのです。
これらの<心の安全バー>があった上で、<スリル>を体験するからこそ、<楽しさ>を感じられるのではないでしょうか。
<心の安全バー>が外れてしまうとは・・・
現代社会においては、暴力、DV、モラハラなどの様々なハラスメントなど、関係性を脅かす問題が蔓延しています。
これらは、完全に<安全バー>が外れている、外されてしまっている、自分自身を危険に晒している状態と言えます。この状態は、<スリル>とは呼びません。自分の身が危険に晒され、危ない状態だということです。
「自分は危険に晒されても構わない」とおっしゃられる方がいます。
しかし、相手に自分の<安全バー>を外させてしまっている状態、或いは、自分の<安全バー>が外れている状態を相手に見せることは、相手にとっても「危険な状態」ということでもあるのです。従って、自分が危険であると主張することは、相手を守るためにも大切なことでもあるのです。実際に危険に晒されることによって「生命が脅かされること」と、スリルによって「生きていることを実感すること」は大きく異なるのです。あくまで、安全保障つきの<スリル>だから、<楽しめる>のです。
激しく心を揺さぶられるような刺激は、自分にとって良い刺激であっても、悪い刺激であっても、高揚感として捉えられ、その高揚感を一貫して<楽しさ>と脳が認識してしまうことがあります。
しかし、高揚感=楽しさでは必ずしもないのです。
ネガティブなことで感じられる心の高揚感に対する自分の反応の閾値は、徐々に高くなっていきます。
つまり、従来10の刺激で、1反応していた場合、
10のネガティブな刺激が繰り返されると、次第に10では無反応になり、15、20と強い刺激によってでないと反応できなくなっていくということです。
これが、暴力がより強いものへと悪化していくひとつの要因です。
暴力を与えられている側は、暴力によって自分が傷つくことを防ぐために感覚を鈍化させ、反応しないように、
暴力を加える側は、相手の反応を引き出すためにより強い暴力を用いていくのです。
ネガティブな刺激は、より強い刺激でないと反応できないようになってしまうのです。
一方、安心感は、そうではありません。不思議なことに、安心感が充足すると、より強い安心感を求めるように心は働かず、より良い自己を目指して成長していく方向に心は向いていきます。安心感を「もっともっと」と求める欲求は働かないということです。
なぜなら、安心感は、一瞬でなく、昨日-今日-明日・・・と連続的に体験されるものだからです。安心感を構築するまでには長い月日を要し、相互的な関係性が築かれてこそ感じるものだからです。仮に、より強い安心感を求めている場合は、どこかに「不安感」が隠されていることを意味している場合が多くあります。
「今日は今日」「明日は明日」と刹那的な関係性を、私は、決して否定しているわけではありません。
確かに、刹那的な関係性は、一瞬の気分を最高に高揚させ、場合によっては楽しませることができるのも事実。そして、そもそも安全バーを持たない生き方自体に楽しさが秘められていることも事実であるとも思うのです。
しかし、それでもやはり、いざとなったら逃げ込める「安全基地」、自分を守ってくれる最低限の<安全バー>は必要なのではないでしょうか。そして、刹那的な関係性に魅せられつつも、既に自分自身で今持っている<安全バー>について気づく体験も大切なのではないでしょうか。
まとめ
本日のコラムでは、<楽しさ(スリル)>か・・・<安心>か・・・
性別、世代問わずにで考えられている、普遍的なテーマについて、心理士(師)として、現段階で感じている見解についてお伝えさせていただきました。
<楽しさ(スリル)>か・・・<安心>か・・・私の結論は・・・
・「両方とっても大事!!そうであれば、皆さまにもぜひ、その両方を獲得していただきたい!!」ということ
・「安心感なしに、楽しさは感じ得ないのではないか」ということ
・楽しさと安心は、決して、相反するものではなく、
「<安心感>という土台や安全基地をベースに、両方手に入れることができるものなのではないか」ということ
です。
人生においては様々なことが起こりますね。それは、決して、穏やかな安定した、安全なことばかりではありません。一緒に乗り切っていける安心した関係性を持つことで、人生においてのスリルを最大限に体験できる、或いは、スリルに挑んでいけるのではないかと感じています。
「人や関係性の中にスリルを見出すのではなく、人や関係性上には安心感を得ながら、スリルのある体験をする」
つまり、
「一緒に安全バーを締め、一緒にジェットコースターに乗ってくれる人を大切にしていく関係性」を求めていくというのはいかがでしょうか。
・何が自分にとっての<安全バー>になるのか・・・
・ご自身が感じる<楽しさ(スリル)>や<安心>について・・・
これを機に皆さまにも少し、お考えいただけたらと良いなと思います。
しかし、おひとりでは、なかなか見出すことが難しいこともあるかと思います。その際は、ぜひ、お気軽にカウンセラーをお役立てお使いください。
寒さが厳しくなりますので、皆さまがご健康で過ごせるよう願いつつ・・・
また3月にお会いできることを楽しみにしております!
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