皆様。こんにちは
代表公認心理師の小高です
東日本大震災(2011年3月11日)が発生してから9年の月日が経ちました
改めまして、被災された方々にお見舞い申し上げるとともに
震災や津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします
そして、大切なご家族やご親族、ご友人を亡くされた方々にお悔やみ申し上げます
災害の多い日本で生活している人間として
決して風化してはいけない自然災害であると、毎年311を迎えるたびに感じるのです
被災地にはクライエント様もいらっしゃり
この9年間カウンセラーとして関わらせて頂いておりました
復興していく様子を伺いながら
ご一緒に向き合い
お仕事への取り組み方、ご家族とのコミュニケーションの取り方など
計り知れないご苦労を抱えたクライエント様たちのお話を伺いながら
長い時間をかけて
私のお役目としてできることをやって参りました
被災地支援へ足を運んだことも
私の心理師としての生き方に大きな影響を与えて頂いたと思います
南三陸町の訪問
旧防災対策庁舎の前を通り過ぎた時、ぐっと涙を必死にこらえたことを今でも覚えています
震災当時、南三陸町の危機管理課の職員だった遠藤未希さん(当時24)
防災対策庁舎から防災無線で避難を呼びかけ続け津波の犠牲になってしまわれました
震災後の訪問時に、町の状況を拝見し
津波の恐ろしさを目の当たりにしましたが
その場にいらした皆さんの恐怖は言葉では語りつくせないものだと思います
実際に地元のボランティアの方が
「南三陸のあの現場を見る事は正直怖いんです
何処かで自分の中でなかったことにしようとしている
でも、受け止めなくてはいけないと感じています」と仰ったこと
※過去のブログからコメントを引用しました
訪問先の南三陸のホテル観洋までの道は
窓をあけると粉塵が酷く窓を開けられない状態
脳裏に焼き付くということはこういうことなのですよね
そして、いざ心理師として皆さんのお役に。。。と自分の役割を示した時
その無力さを初めの段階から感じました
震災直後に通常のカウンセリングは通用しないということ
そうですよね
東京で震災を経験したとしましても、津波は経験していません
お気持ちに寄り添うなんておこがましいのです
ご家族を亡くされた方
未だにご家族に会えていらっしゃらない方
家も仕事も何もかも奪われた方にとって
ゆっくりじっくり座って、知らない人に話をするような状況ではないのです
お子さまたちとは一緒に遊びました
大人の方とは、雑談を交えて心地の良い場所でのんびりご一緒に過ごしました
お部屋に篭られている方には無理をさせないようにしました
無力でありながらもこの経験を必ず意味のあるものにしようと
この9年間過ごして来ました
9年前に比べ、心理支援に対する意識が高まり
PFA(psychological first aid,サイコロジカル・ファーストエイド)は私たち心理師にとって非常に重要視されています
【PFA(psychological first aid,サイコロジカル・ファーストエイド)】
アメリカ国立子どもトラウマティックストレス・ネットワーク、アメリカ国立PTSDセンターによって開発
災害やテロの直後など深刻な危機的出来事に見舞われた人々(子ども、思春期の子ども、大人、家族)に対して
支援者が心理社会的支援を提供するためのガイドライン(心理的支援方法)
こういった世の中の流れも意味していると思います
牛歩ではありますが、メンタルヘルスケアへの意識に変化が芽生えています
9年前の震災を風化させず
生かされている私たちが、この経験を意味のあるものとしてどのようにいかしていくか
暗い気持ちになるのではなく、前向きに捉え
後悔のないように、個々にできることを地に足付けて取り組んで参りましょう!