COLUMNコラム

【精神科医が解説】他者視点の限界と、その本質

所属精神科医のT.Sです。

このコラムでは、

私が精神科医として患者さんと接する中で手に入れ、磨き上げてきた様々な武器
つまりは「幸せになるコツ」

を紹介しています。

 

先月私は、「他者視点の重要性」についてのコラムを書きました。

その中で、仕事や恋愛、家族関係における他者視点の重要性や、それを欠くことによりどのような問題が生じるかについて述べました。

そして今回、本来はまったく別のテーマでコラムを書く予定だったのですが、ある出来事をきっかけに、私は再び「他者視点」というテーマに引き戻されてしまいました。

あれは先日、タクシーに乗ったときの出来事です。

仕事で疲れ果て、ようやくタクシーに乗り込んだ私は、座席に沈み込むと同時に衝撃を受けました。

車内の空気が、尋常ではない。

まず、最初に鼻をついたのは、脂汗のような加齢臭のような体臭です。

とはいえ人間、自身の皮脂と汗が混ざり合い、独特の発酵を遂げることはよくある話。
おそらくこの運転手さんも、気づけばその天然の熟成香を身にまとっていたのでしょう。

しかし、問題はそれだけではありません。

その空間には、直前に食べたであろう食事の匂いも充満していたのです。
これは口臭というより、おそらく運転手さんが車内で食べた食事の匂いがそのまま残っている、という感じでした。

この日はちょうど、1年の中でも最強レベルと噂された寒波が到来していた極寒日。
その寒さもあってなのか、十分な換気がされておらず、車内に強烈な匂いを留めたままとなっていました。

カップ麺やスナック菓子など、いかにもといった匂いが、体臭とタッグを組んで私に襲い掛かります。

そして決定打となったのは、暖房でした。

車内の「ぬくもり」が絶妙に作用し、体臭と食事の残り香で地獄のマリアージュを織り成していたのです。

スメハラとかそういう次元ではなく、これはもう暴力です。私、暴力を受けました!

とにかく新鮮な空気が欲しい。
とはいえ、これ見よがしに窓を開けるのは失礼かもしれない。

私は窓をほんの少しだけ開け、さりげなく深呼吸を試みました。
…が、焼け石に水。スカンクの群れの中でそっと消臭スプレーを吹くようなものでした。

意識が朦朧としてきた今際の際、私は運転手さんに対してこう思ったのでした。

(アンタが… “他者視点” さえ…持っていればッ…)

そう、これは 「自分では気づかないうちに他者を傷つけていた」という問題、つまり “他者視点” の問題だったのです。

私はこの体験を通じて、改めて「他者視点の持ちにくさ」について考えさせられました。そして、前回のコラムで扱いきれなかった「他者視点の限界とその対処法」について、もう少し深く掘り下げることとしました。

手を洗わない人

今回の一件は、体臭という生理現象も関わっているのでなかなか難しいのですが、広く括ると「不潔」というカテゴリーに分類されるでしょう。

そして、この「不潔」というレッテルは、非常に厄介な物なのです。

その一例として、職場の食堂での一場面を考えてみましょう。

食堂はセルフサービス形式で、トレーやカトラリーを自分で取るシステム。

そこに、食堂入り口にある手洗いで手を洗わず、消毒もせず、平然とカトラリーを触る職員がいたとします。

それを見て、思わずあなたの心の中のキムタクが叫びます。「ちょ待てよ!」と。
「みんなそっからカトラリー取ってンだから、汚い手で触ンじゃねーよ…!」と。

ところが、ここで少し立場を変えてみましょう。

もしかすると、その職員は食堂に入る直前、別の場所でしっかり手を洗っているのかもしれません。何なら人より潔癖で、爪の先から指の間まで丹念にアルコール消毒だってしている可能性もあります。

でも、周囲の人にはそれが分かりません。

つまり、彼(彼女)は「清潔な手」でカトラリーを取っているにもかかわらず、「不潔な人」というレッテルを貼られるリスクを抱えているのです。
最早、その人が本当は清潔か不潔かなど関係なく、です。

そしてこれを避けるには、結局彼(彼女)が「他者視点」を意識するしかありません。

つまり、「食堂で手を洗わずにカトラリーを取ったら、周りから不潔だと思われるかもしれない」という視点を持ち、「事前に手を洗っていようがいまいが、食堂に入ったら必ず手を洗う」ということが必要なのです。

「不潔な人」というレッテルの怖さ

本質的には必要のない手洗いなのかもしれません。
「そんなことまで気にして生きていきたくない!」と思うかもしれません。

しかし、覚えておいていただきたい。

前述したとおり、清潔や衛生に関する印象というのは、一度悪い印象を持たれると、なかなか覆すのが難しいのです。

一度「あの人は不潔だ」と思われてしまうと、それが「事実」かどうかに関わらず、その印象は長く尾を引きます。たとえ翌日から手洗いを徹底したとしても、「いや、でも昨日は…」と過去の記憶が付きまといます。人間の脳は、衛生的な不快感を記憶するのが得意なのです。

実は私、悲劇的なことに、例の運転手さんのタクシーにその後3回乗りました。
そのうち2回は、初回同様に匂いの暴力を受けました。タスケテ…

ただ、最後の1回はそれなりに換気していたのか、他の日に比べあまり匂いませんでした。少なくとも食べ物の残り香は無かったように思います。

しかし、これまでの経験から「生理的に無理」な状態になってしまっているので、車内にいるだけで苦痛で、いや~な気持ちになってしまいました。

そしてそのうち…やはり、微かに何かが香ってくるのです。これは意識しすぎているからなのかもしれませんが、私自身がそう感じてしまっっている以上、どうしようもありません。そして一度気になってしまうと、もう無視できません。

結果、これまで同様の苦しい時間を過ごすこととなりました。

このように、衛生的な不快感は簡単に忘れられることができません。それどころか、感じた人の中で勝手に増幅していく可能性すらあります。

現に私は、タクシーのナンバープレートを見た時点で「またこの人だ…きっと今日も臭いんだろうな…」と嫌な気持ちがこみ上げてきて、乗車すると実際に香ってくるようになってしまいました。

このように、他者視点を欠くことにより、「自分の行動が予期せぬ形で受け取られる」だけではなく、「一度ついたマイナスの印象が、拡大され、且つ長期的に周りに影響を与えてしまう可能性がある」のです。

これは、職場、恋愛、家族関係など様々な場面で共通する問題です。たった一度の気遣いのなさが、「配慮できない人」「だらしない人」「気が利かない人」といったレッテルになり、それが固定化されてしまうことは珍しくありません。

だからこそ、「他者視点を持つこと」は、単に人間関係をスムーズにするだけでなく、「余計な誤解を生まないための自己防衛手段」でもあるのです。

他者視点の限界

私たちは日々、さまざまな人間関係の中で生きています。

そしてその全てにおいて、意識的にも無意識にも、「他者視点を持つこと」が求められます。いや、求められるどころか、「持って当然」とすら思われている節があります。

職場では上司の意図を「察する」ことが求められ、恋愛ではパートナーの気持ちを「汲み取る」ことが大切だと言われる。

さらに最近では、「SNSでの炎上」にも他者視点の欠落が大きく関わっているケースが多く見受けられます。個人アカウントはもちろんのこと、企業の公式アカウント(の「中の人」)も例外ではありません。

発信者が「自分にとっては問題ない」と思う発言も、異なる価値観の相手には不快感を与えることがあります。また、受け手も相手の意図を考えずに、言葉尻だけを捉えて過剰に批判することがあります。

SNSでは表情や声のニュアンスが伝わらないため、誤解が生じやすく、対話ではなく感情的な反応が先行しやすいことも、よりこの問題を起こしやすくしています。

簡単に情報を世界に発信できてしまう時代だからこそ、ほんの少しの不用意・不必要な発言が多大な影響を及ぼしてしまう。楽しくも恐ろしい時代ですね…

しかし、立ち止まってよく考えてみると…

そもそも他者視点って、そんなに簡単に持てるものではありませんよね。

みなさんお気づきの通り、他者視点を持つことには、限界があります。

いくら想像を働かせても、結局それを考えるベースは 「自分の価値観」 だからです。

ある人が、何かしらの愚痴をこぼしたとします。

これに対し、「励ましてあげないと!」と考えて積極的に声をかける人もいれば、「今はそっとしておいてあげよう」と考えて静観する人もいるでしょう。

同じ話を聞いても、受け取り方は千差万別であり、それは各自の経験や価値観に大きく左右されます。

そしてそれぞれの価値観を元に、人は「自分ならこうしてほしい」という基準で相手の気持ちを推測し、それに基づいて行動するのです。

その結果、そっとしておいてほしい人を無理に励ましてしまったり、励ましてほしい人を静観してしまったり、というすれ違いが起こってしまいます。

また、文化や世代の違いもこの問題を複雑にします。ある世代にとって「連絡はこまめにするのが礼儀」でも、別の世代にとっては「急ぎでなければ返信しないのが普通」かもしれません。この場合、「なぜ返信がないのか?」と考える際、自分の常識を前提にする限り、相手の本当の気持ちにはたどり着けないのです

これがつまり、他者視点の限界です。

他者視点を考えるのが「自分」である以上、完璧に他者視点に立つことは絶対に出来ないというジレンマを抱えているのです。

「他者視点を持つ」ことの本質とは

このように、どこまで行っても完璧な他者視点を持つことはできません。

とはいえ、他者視点は確かに重要なスキルであり、あらゆる場面で「持とうとするべき」ものであることは間違いありません。

ですので、「どうせ不可能なんだから…」と諦めるのではなく、「他者視点の精度を上げるためにどうすれば良いか」を考えていく必要があります。

前回のコラムで私は、「自分はちゃんと他者視点を持っているだろうか?」と、都度自分に問いかけてください。” と書きました。

実はこれが、他者視点の精度を上げるために必要な第一歩になります。これが出来ないと、他者視点を持つなど夢のまた夢になってしまいます。
それくらい大切なものなのです。

自分への問いかけが習慣化してきたら、さらに踏み込んで「想像で終わらせないこと」 を意識して行動してみてください。

つまり、「自分ならこう思う」という前提で考えるのではなく、「実際に相手に聞いてみる」ということです。

「何をすればいいか分からない」ときこそ、積極的に相手に聞く。
「相手がどう思うか分からない」ときは、決めつけずに確かめる。

このプロセスを日頃から行うことで、他者視点をより正確に持てるようになっていきます。
この繰り返しにより、「いちいち聞かずとも相手が求める行動を取れる」ことは増えていくでしょうし、知らないうちに嫌われてしまったり、余計な誤解を生むことは減っていくでしょう。

とはいえ、どれだけ頑張っても完璧にはなり得ません。

でも、それでいいのです。

結局のところ、「他者視点を持つ」ことの本質とは、「完全に相手の立場になりきること」ではありません。
「自分の視点の偏りを自覚し、相手の考えを確認する努力をすること」なのです。

そう、大切なのは「努力をすること」です。

それこそが「思いやり」であり、人を大切にするということであり、求められていることなのです。

たとえ完璧に相手の視点に立って行動できなくても、その思いやりを感じられるかどうかで、大きく印象は変わってきます。

「ちょうどいい他者視点」を意識する

最後に、他者視点を持つことは大事ですが、気にしすぎると逆に生きづらくなってしまうのも事実です。

「こんなこと言ったら嫌われるかも…」と考えすぎて何も発言できなくなる。
「相手がどう思うか」を優先しすぎて、自分の本音を押し殺してしまう。
「迷惑じゃないかな」と思って遠慮ばかりしてしまう。

これは「他者視点を持つ」というより「他人の目に支配されている」状態です。

ですので、大事なのは バランス”  です。

他者視点は、持たなければ人間関係がこじれ、意識しすぎれば生きづらくなります。

少なすぎると味気ないが、多すぎると料理を台無しになってしまう。
言うなれば、調味料のような存在なのです。

相手の視点を考えるけれど、自分の考えも大事にする。
全員に好かれようとはせず、適度に気を配る。
他者視点を持つことで、人間関係がスムーズになることを楽しむ。

他者視点は、人間関係を良くするためのスキルであり、一種のツールです。

そう、あくまでツールなのです。
それに縛られて自分を苦しめる必要はない、ということです。

〇他者の気持ちを「想像」するだけでなく、「確認」する習慣を持つ。
〇「全員に好かれよう」とせず、「大切な人との関係を円滑にする」ことを目的にする。
〇「察してもらおう」と期待するのではなく、「察しやすい情報を相手に提供する」よう心がける。

これらのポイントに注意し、適度なバランスを意識しながら、他者視点を持てるように日々トレーニングを積んでいきましょう。

他者視点とは、ただ考えるものではなく、実践するものです。

自分と周りの人を大切にするために、私と一緒にメンタルトレーニングに励んでいきましょう!

それでは、また次回のコラムで。

 

※前回のコラムはこちら↓

【精神科医が解説】他者視点の重要性

※過去のコラムはこちら↓からご覧いただけます。

【メンタルヘルス】精神科医T.Sコラム
Writing by T.S


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