COLUMNコラム

【子どもから大人までみられるこころの現象】「強迫」について考え続けてみる②

🔶はじめに🔶

こんにちは。カウンセラーの安澤です。

もう1年の4分の1が終わりました(笑)
なんか毎年言っているような気がしてなりませんが…。

能登半島地震から早3ヶ月が経ちました。
徐々にインフラが再び整備されてきた地域もあれば、珠洲市ではほぼ全域がまだ断水の状況にあり、まだまだ完全な復旧には程遠い現状です。
そして、被災された方々が二次避難先の滞在先のホテルでの生活も今後どうなっていくのか不安な中、仮設住宅の着工や設置の滞り、地方への一時的な避難の限界など、課題山積な状況があります。

他方で、3月16日に北陸新幹線が福井県の敦賀駅まで延伸し、「北陸地方」という大きな括りでの表現とはなってしまいますが、観光客が「北陸割」にも魅力を感じて、石川県や福井県に数多く訪れているでしょう。私も復興の足しになるのかどうかは分かりませんが、ちょっぴりでも、北陸を楽しむ一員として赴きたいと考えています。

後ほど「補遺」にて加筆しますm(_ _)m特にご一読しなくても全く問題ありませんm(_ _)m

そして、新年度です。

新年の入りは衝撃的なニュースが続きましたが、新年度は、みなさまが安心の出来る、楽しいスタートになることを願います。

新年度だからこそ、環境変化、人間関係の変化など、また違った悩みや苦しみ、ストレスを感じる時期かもしれませんが、そういった気持ちは一人で抱え込まずに、誰かに呟き、そしてスッキリすることを通じて発散していきましょう。

さて、前回から新シリーズ「大人から子どもまでみられるこころの現象」ということで、「強迫について考え続けてみる①」というテーマを取り上げました。

前回のコラムは下記からも御覧いただけます。
【子どもから大人までみられるこころの現象】「強迫」について考え続けてみる①

前回も色々書いてしまい、一般的な「強迫」の定義を挙げ、私自身のエピソードを挙げて終わってしまいました…。

おそらく、今回も回りくどく述べて、きっと一つの内容で終わってしまいそうですが、ご了承くださいm(__)m

書き留めないと不安なのです。
一時的にでも、安心するには、思ったことを書く必要があるのです。
しかし、これは、「強迫行為」であり、その安心は錯覚なのです。
自己満足の世界です。
でも、安心が必要なのです。
どうぞお許しくださいm(__)m

この間にも、私の「強迫」傾向な振る舞いはあり続けるのです。
この時期、お彼岸の時期ですよね。
お彼岸になると、毎回お墓参りに行くのですが、その場で私が行う強迫的な儀式があります。
追々、理論的に説明させていただければと考えておりますが、ひとまずどういった儀式を行うのかご紹介致します。

「わかる!」と思う方、「わかんない!」と思う方、「おかしいんじゃないの!」と思う方、
みなさま、三者三様に、あれこれと思っていただき、結果的には「そうなんだ~」と知っていただければ幸いです。

数多くある私の強迫的な振る舞い2つ目です。

私が行くお寺には、祖父母と直接的には会ったことがない叔父が墓石にて眠っています。
その墓石までの道のりには、数多くの「お参りする対象」があります。
本社となる神社や摂社・末社(小さな神社)、キツネの石像、大きな菩薩像、墓碑、10体のお地蔵様らと毎回対面します。

先月末にお彼岸でお墓参りをしてきました。

その「お参りする対象」に対して、毎回ルールのあるお祈りをしています。
簡単に述べると、①挨拶➡②前回から参拝時までのお礼➡③「世界と家族の平和と健康」の見守り➡④「自身の歩み」についての見届き➡⑤「様々な病気の方々の心身の健康」の見守り➡⑥次回参拝に向けて・・・という①~⑥の流れで目を瞑り挨拶をしています。過去には、長いと1時間掛かることがありました。

この強迫的儀式は、幼少期はそれほどありませんでしたが、段々と固定化されていきました。高校生位で、現在の「かたち」は確立しています。この「かたち」を完遂するべく、毎回お寺に赴いて、遭遇する度に、雑念を捨てて、一点集中で、心の中でこの「かたち」を行います。

一つ申し上げておくと、当然、敬意を込めてお祈りはするのですが、私自身はもともと「無宗教者」であり、かなりの「現実主義者」です。しかし、この「かたち」を行うことが、私にとっての重要な「儀式」であり、「安心」を得る行為なのです。

細かい内容は追々のテーマのところで、詳しく説明出来たらと思いますが、このような「かたち」を実行して「儀式」を完遂することが、私の不安を減らすこと、何かが起きないことと思えることに繋がっています。

この「かたち」が強迫的な儀式であることは、当然もっと後になってから分かったことですが、今も尚、先日のお参りの時も、行っている「かたち」なので、取り上げました。

先日も行いましたが、先日は納得いく前に終了となりました。換言すれば、「終われた」のです。

なぜか………物理的に、お寺が閉まる時間になったからです。

物理的に終わらざるを無かったのです。もちろん、頭の中ではその後も続きますし、モヤモヤと「反省」が残ります。次回は「もっと完璧にやらないと」となります。

このように、半永久的にぐるぐる頭の中で駆け巡るという一例でした。

結局、またここまでで、かなりの文章を書いております。
ここから、今回の本題に入りたいと思います。
今回のテーマは、「強迫について考え続けてみる②」で、主には「強迫観念」についてです。

強迫的な現象(症状)のあれこれ

先に述べましたが、このコラムでは、「強迫」に関連する現象を全般的に取り上げています。
後述する「侵入思考」という健康レベルの現象から、「強迫観念」や「強迫行為」を主症状とする「強迫性障害」、はたまた「強迫性パーソナリティ障害」を含めて、「強迫」にまつわる現象を説明していきたいと考えています。

「強迫症/強迫性障害」となると、「病気」として日常生活に支障が出ているために、「治療」が必要となります。
しかし、それ以前に、私たちの中には、通常の生活において、「強迫」という現象を経験している方も多いと思います。私たちはそれを「強迫的に〇〇する」といった表現で表すこともあるでしょう(このコラムは正にこの観点から述べています)。

その「強迫」的な考えや振る舞いは、一時的な(一過性の)持続しないレベルのものもあるわけです。すなわち、後で説明する「強迫観念」と「侵入思考」で分けて考える理解の仕方です。

どこまでが「日常レベルでの強迫的な現象」で、どこからが「病的なレベルでの症状」なのかの境界線は作れないと思いますが、当事者が「強迫」の現象によって、生活に支障が出ているのかどうかが一つの分かれ目なのでしょう。いずれにせよ、程度の差こそあれ、誰しもが「強迫」という現象を体験しうると思います。

その「強迫」の現象は、「強迫観念」と「強迫行為」という二つのカテゴリーによく分類されます。
まずは、「強迫観念」について取り上げていきたいと思います。

強迫観念(obsession)とは・・・

「強迫観念」について、成田(2002)は「何らかの思考、言葉、心的イメージが患者の意に反して、意識の中に侵入してくるもの」と説明しています。

自分自身の意に反して、繰り返し頭に浮かんでくる程度となると、かなり嫌で、不快な感覚になると思います。こういった繰り返される「強迫観念」によって生まれた不快さや苦痛、不安を取り除くために、後で述べる「強迫行為」を行うことも多いかと思います(絶対に強迫行為が伴うわけでもありません)。

DSM-Ⅴの「強迫性障害」の診断基準では、「強迫観念」について以下のように明記されています(図-1)

図-1 DSM-Ⅴ 強迫性障害診断基準 「強迫観念」の部分の抜粋

DSM-Ⅴの内容は、あくまで「強迫性障害」の診断基準ですので、「症状」となる程度の内容のため、反復的で持続的であり、不安や苦痛を伴うほどの内容で取り上げられています。

ただし、ここまではいかなくても、明らかに、自我違和的に(浮かんでくることがおかしいと自覚していても)、不合理な考えなどが度々浮かんでくる経験も多数あるでしょう。

認知行動理論に基づいた考え方になりますが、「侵入思考」という概念があります。
「強迫観念」と「侵入思考」の違いについては、清水(2021)のコメントがとても分かりやすく参考になるので、まとめてみます。

「侵入思考」は、「私たちの頭の中に自分が考えたくなくても勝手に浮かんでくる考えのこと」であり、健康な人にも多くみられるものです。
そして、頭に浮かんだ考えを受け止め、放っておくことが出来た場合には、健康な「侵入思考」であり、頭に浮かんできたことが気になって放っておくことが出来ない場合には、「強迫観念」になってしまいます。

と述べています。

例えば、「家のドアに鍵を閉めただろうか、閉めてなければ泥棒が入るかもしれないけど、大丈夫か」という、頭に浮かべたくない考えが浮かんできた時に、放っておくことが出来れば、「侵入思考」の段階で留まることになるでしょう。

しかし、その思考がずっと頭の中を巡っていて、気になって、不安になって、不快になって、放っておけない時には、「強迫観念」と理解することが出来るでしょう。

「ドアの鍵を閉めたかどうか」については、一度浮かんだら放っておくっていうのも難しいかなという私見はあります。「泥棒に入られるかもしれない」という結末を勝手に想像しているからです。
みなさんはどうでしょうか。様々だと思います。「閉めた」と断言出来る人、「違うことを考えよう」と思える人、「泥棒が来たら、警察に捕まるから大丈夫」と考えを展開する人など様々でしょう。

最近の私自身の例えを挙げると、以下のようなことになるかと思います。

「侵入思考」や「強迫観念」の中には、時々思い浮かぶ何かのフレーズや音楽、コマーシャルに出てくる言葉などもあります。

私自身は、最近、とあるコマーシャルで流れる音楽と共に決まり文句が度々思い浮かびます。しかし、それは逃れることが出来ないほどのレベルのものではないため、全く生活に支障ありません。ずっと続くものでもないので、「強迫観念」というよりも、「侵入思考」と言った方が良いかもしれません。

度々であっても、一時的に思い浮かぶ程度であり、苦痛とまではいかず、放っておくことが出来、普段もそれほど意識せずに健康的に生活を送れています。
放っておけない場合の「強迫観念」となると、不快な気持ちに苛まれます。

この「強迫観念」の具体例を、私自身のエピソード含めて、次回に取り上げていきます。

重怠い今回の終結となりますが、とにかく色々なエピソードをご紹介していきながら、「あ!私と一緒だ!」という体験を出来る限り多くご紹介して、ホッとする体験をこの場では共有していけたらと思っております。

🔶おわりに🔶

今回は、主に「強迫観念」について取り上げました。
まさかの「強迫観念」の一部を書いただけで終わってしまいました。
これは、「色々と書かないと(文章量を多くしないと)、何か不吉なことが起きる」と心底で思っている「強迫観念」があるからかもしれませんし、それに伴う「強迫行為」なのかもしれません。

地味な内容続きかもしれませんが、時折、え?と思うようなエピソードを盛り込みながら、
「苦笑」を得るために、次回も強迫的に綴りたいと思います。

新年度、不安なことも多いかもしれませんが、その中でも何か1つ、楽しいことや笑えることを見つけながら、過ごしていきましょう!!

🔶補遺🔶

3月末に、北陸に赴きました。数年前から計画していたのですが、北陸新幹線の敦賀駅までの延伸に伴い、念願の、悲願の、「日帰り東尋坊」を実現したい、ただそれだけでした。多分、広辞苑にも広辞林にも何にも記載されていない造語ですが、僕の中で「崖感」を満喫することが目的でした。

■「崖感」・・・断崖絶壁まで前進して下方を覗き込み、緊迫した状況を吟味する感覚のこと。

そして、何の意味もありませんが、「木枯し紋次郎」ならぬ「日帰り東尋坊」という呼び名をただ言いたいがために出向いただけです。

そんな当日の東尋坊は大雨と強風に苛まれました。3回目の東尋坊ですが、今までになくスリリングな「崖感」でした。地面は滑り、強風に煽られ、傘は意味なく、全身ずぶ濡れ、身体は冷え冷え、心は踊る。

単に危険でした。

そして、「崖感」の応用でした。

大雨と強風の東尋坊は止めましょう。

危険な東尋坊に憧れるのは止めましょう。

「しないよ」、「お前だけだよ」と言われ、思われ、呆れられ。

とにもかくにも、「雨の御堂筋」ならぬ「雨の東尋坊」で、晴れの東尋坊の絶景を堪能出来ずじまいでした。

次出向く時には、絶景を、そして断崖絶壁スレスレを吟味したいと思い強くしました。

それはもとより、とにかく北陸に出向き、微々たるものでも貢献しようと、福井だけではなく金沢にも立ち寄り、お土産を買い漁りました(お土産を買わないといけないという衝迫)。

やれることは限られますが、僕自身のやれることを、やれる限り、やり通そうと思います。

それでは、また次回に!!

🔶参考文献・資料🔶

●アメリカ精神医学会 2015 『DSM-5 精神障害の診断と統計マニュアル』 医学書院
●成田善弘 2002 強迫性障害 医学書院
●清水栄司(千葉大学大学院教授)2021 Q&A 強迫症の対処法は? 考えたくないのに同じことを考えてしまう。 | NHK健康チャンネル

🔶お知らせ🔶

親子関係の問題、お子様とのかかわり方、育児、DVのほか、発達段階(幼児期、児童期、思春期、青年期、壮年期)、発達面の課題、非行、ひきこもり、ストレス・不安・躁うつ・強迫・依存など様々な精神症状に関すること、自己理解、対人スキルといった個人や関係性に関わる内容、不登校、いじめ、特別支援、高校への進路支援など学校と関連する内容など、様々なご相談に対応させていただきます。

昨今、ポスト・コロナの時期において、閉鎖的な風潮が今だ続いている中、お1人に悩まれ続け、辛い思いをされている方も多くおられると思いますが、1人で抱え込まず、誰かに吐きだして、少し軽くなったり、気持ちに余裕が生まれたりしていくことも時には必要かもしれません。

人それぞれ必ずご自身で考える力は備えられています。しかし、精神的に余裕がない時には、その力を発揮することが難しくなります。ちょっとだけ、ゆっくり、じっくり、のんびりと、呟いたり、ご自身と見つめ合ったり、共有したりすると、ほっこりと、リラックス出来て、ご自身の感じる力や考える力が身についてくれれば何よりです。

何か思うところがありましたら、いつでもご相談をお受け致します。

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Writing by 安澤 好秀


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