所属精神科医のT.Sです。
みなさま、あけましておめでとうございます!
あっという間に2025年が終わってしまいました。昨年の年初に掲げた抱負は、既に忘却の彼方に消え去っているのですが、おそらく「今年こそ運動習慣を」とか「毎日早起きする!」といった、人類普遍のテーマだったのではないかと推測されます。達成度は不明ですが、少なくとも生き延びたという事実だけでも、2025年の自分を労ってあげるべきでしょう。
時間は容赦なく流れ、抱負だけが毎年リサイクルされる。これもまた人生なのかもしれませんね。
とはいえ、新しい年の始まりというのは、毎年同じようでいて、実は少しずつ違っています。以前はあまり手をつけなかったおせちの数の子も、いつからか好んで食べるようになっていました。1年ぶりに会った従兄弟の子どもは既に私と同じくらいの身長になっており、時の流れの速さに驚愕したのでした。うわっ⋯私の身長、低すぎ⋯?
精神科医として人の心の変化を日々観察している私自身も、例外なく時間の影響を受けています。つい先日、そんな時間の流れを否応なく意識させられる出来事がありました。
年末、妻と「お互いの幼少期はどんなだったか」という話になりました。そういえば、と思い出したのが、以前実家の押し入れから見つけた古いビデオテープのことです。もう10年ほど前に店に持ち込んでデータ化してもらい、スマホに入れてあったのですが、それを改めて見返す機会はありませんでした。
久しぶりにそのデータを開いてみると、そこには幼少期の私が映っていました。粗い画質、古いビデオ特有の画面を走る横線、淡い色味。時代を感じさせる、アナログの質感です。それでも再生ボタンを押すと、画面の向こうには確かに「かつて存在した日常」が息づいていました。
画面に映し出されたのは、2歳の誕生日を迎えた私でした。落ち着きなく椅子に座り、よく分からないなりにもケーキが気になって、楽しそうに意味不明な独り言を発している2歳の私。
可愛い事は言うまでもないので割愛しますが、驚いたのは自分の娘にそっくりだったことです。瓜二つという言葉がありますが、瓜でももうちょっと違うだろうに。顔の作り、体型、声、動き方⋯あらゆる面で「遺伝子」を感じざるを得ませんでした。グッジョブ、私の遺伝子。
そんな昔の自分の姿に見とれているさなか、突然画面の向こうから聞こえてきた別の声に、私は衝撃を受けました。それはビデオを撮影している人物———私の父親の声でした。
父は、私が二十歳の頃に亡くなっています。記憶の中の父は「怖い存在」でした。日に焼けて引き締まった身体の土木作業員で、不機嫌に声を荒らげることも少なくありませんでした。仕事で家を空けがちの父が珍しく家にいるときは、緊張し顔色を伺いつつも、なんだか嬉しかったことを覚えています。
そんな父と、このビデオを再生したことで、約15年ぶりに思いがけない再開を果たしました。もはや私はビデオの中の自分には目もくれず、時折聞こえてくる父親の声に釘付けになっていました。
あぁ、これは確かに親父の声だ。そういえばこんな声だった。私と一緒で、音楽が好きで、歌うのが好きだった。
ビデオの中で私に向かって話しかけているのは間違いなく父の声なのに、それでいて、聞き覚えがないようにも感じるのです。なぜならその声は、私の知っている怖くて不機嫌な父とはまるで違い、驚くほど穏やかで、柔らかく、愛情に満ちていたから。
「大きくなったなぁ」「すごいねぇ」「上手だねぇ」
その声を聞いた瞬間、得体の知れない不思議な感情が胸に込み上げてきました。そして、ハッと気づいたのです。
声のトーン、間の取り方、言葉の選び方———それは、もうすぐ2歳になろうとしている娘に対して今の私がかけている声と、ほぼ同じものでした。
スマホを片手に立ち尽くしたまま、私は気づけば涙を流していました。その声からは、私が娘に対して抱いているのと全く同じ感情を、容易に読み取れたから。
つまり、「愛しくてしょうがない」ということです。
生前の父にそんなことを聞いたことはありませんし、喧嘩の一つや二つしたことで多少思うところもあったかもしれません。しかし、その声は、どんな言葉よりも説得力を持って私にこう教えてくれました。父はちゃんと私を愛していたのだ、と。
考えてみると当然の話なのですが、自分の親にだって、今の自分より若い時代があったのです。親だってかつては誰かの子どもで、自分の親に甘えたり叱られたりしながら育ち、友人や恋人と幾度もの出会いや別れを積み重ねて、人生のパートナーを見つけ、そして自らも親になったのです。
私たちにとって、親はいつまでも「大人」の象徴であり、そんな親と比べると、なんだか自分はまだまだ子どものような気がしてしまいます。思い返すと子どもの頃の私にとって父は、強く、絶対的で、怖いけれど、どんなことでもきっとなんとかしてくれて、頼りがいがある大人でした。
しかし当の父自身は、きっとまだまだ自分は子どもだと思っていて、毎日悩み、焦り、翻弄されしながら、必死に私を育てていたに違いありません。そう、今の私のように。
もう私と父は交わることがないですが、時を超えて「誰かの父親になる」という点で、並び立つことができました。人生は一方通行で、過去には戻れませんが、役割だけは静かに引き継がれていくのかもしれません。
精神科医として臨床に携わっていると、「あのときこうしていれば」「もう一度やり直せたら」という言葉を、患者さんから聞くことがよくあります。過去の自分を責めることもあれば、今の自分と比べて輝いて見えることもあるでしょう。
しかし、過去の自分では受け取れなかったものが———今この瞬間の自分にしか手にできないものが、確実に存在します。
だからこそ、今年の私の抱負は、とてもシンプルなものになりました。
それは流れていく時間の中で、「今しかできないこと」「今しか感じられないこと」を、できるだけ意識的に味わうこと。
娘が仕事帰りの私に笑いながら駆け寄ってくるのも、突然不機嫌になってスプーンを投げ泣き喚くのも、せっかく寝たのにデカすぎるチワワのイビキで夜中に起きて泣くのも、今このとき以外には二度と味わうことの出来ない、かけがえのない一瞬です。
そう考えれば、頑張って早起きすることも、英会話に励むことも、体を鍛えることも、その全てにかけがえのない意味があると言えそうです。1秒前の自分も1秒後の自分も、もはや他人。私たちは今しか生きられないのですから、今の私がやるしかないし、今の私にしか味わうことはできないのです。
たとえその最中にいるときは余裕がなくても、「これは期間限定イベントだ」と思えば、少しだけ見え方が変わってくるでしょう。精神科医らしく言えば、これは立派なリフレーミングなのです、きっと。
私はもう、ビデオの中の父よりも年上になりました。
かつての父に母と私がいたように、今の私には、ビデオを見て立ち尽くす自分を抱きしめて一緒に泣いてくれる妻と、何よりも大切な娘と、可愛いくてイビキがデカすぎるチワワがいます。
父は人生という旅を一足先に降りましたが、15年ぶりにビデオというタイムマシンで戻ってきて、今この瞬間の大切さと、今を積み重ねた先に未来という道が続いていくことを教えてくれました。
2026年には一体どんなことが待ち受けているのか分かりませんが、酸いも甘いも噛み分け、飲み込みながら進んでいこうと思います。
また今年もこのコラムでは、心について、人生について、少し真面目に、少しユーモアを交えながら書いていくつもりです。どうぞ本年も、肩の力を抜いてお付き合いください。
それでは、また次回のコラムで。ちなみに次回は、前回まで連載していた以下のシリーズの続きを掲載予定ですので、お楽しみに!
※連載中のシリーズはこちら↓
【精神科医が解説】「面白い人」になるための条件 〜導入編〜
【精神科医が解説】「面白い人」になるための条件 〜テクニック編①〜
【精神科医が解説】「面白い人」になるための条件 〜テクニック編②〜

※過去のコラムはこちら↓からご覧いただけます。
【メンタルヘルス】精神科医T.Sコラム
Writing by T.S
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